クリア
古道」 の検索結果 107 記事
【写真説明】『古油井歩道-6』の下りを一部採録する:「この終点は記念碑広場と呼ばれ、工殤記念碑、即ち殉職碑が建つ。元の碑は日本石油時代のものではないかと勘繰ってみたが、固より戦後のもののようだ。..
龍門司坂(たつもんじさか)は石畳の古道が続く坂道です。 「西南の役」では、西郷隆盛率いる薩軍が熊本へ向かった坂道とされています。 石畳の坂と竹林が続きます。 上り..
【写真説明】最後に出会うのは第29号油井。開坑時間は1923年(大正12年)8月25日、廃井時間は1974年(昭和49年)年8月4日。第18号油井と同じ頓鉆式(C式)。歩道が平坦になった見通し..
【写真説明】次に出会うのは第93号油井。開坑時間は1939年(昭和14年)8月17日、廃井時間は2002年(平成14年)年7月2日。テラスが組んで展示されている。油井の汲み取り方式が種々あるよう..
【写真説明】前回記事で述べたように、古油井歩道上には三基の古油井が残されている。最初に出会うのが、第18号油井。竹藪の中に朱色の流線形の鉄パイプが覗いている(左写真)。出来るだけ近くまで踏み入..
【写真説明】さて愈々古油井歩道を歩くことにする。傾斜角60度の地上ケーブル軌道を中心にすると、この軌道を歩いて登れる部分の一番高い場所に現代の油井の鉄塔が一基立っている。以前書いたように、そこ..
【写真説明】南寮の残りの宿舎群、即ち、四、八、十八号は所謂長屋であり、磺夫専用である。今回写真を掲載したのはその中で保存状態が最も良い第八号宿舎(左、中央写真)で、現在は一般の方の作業小屋、倉..
【写真説明】前回記事で紹介した「北寮旧弁公室」の北寮とはつまり旧日本石油苗栗製油所敷地内の北側と謂う意味であろう。これに対し、「日式宿舎」が集中しているのは、同敷地南側(南寮)で、そこに四、六..
【写真説明】左写真は、中油探採事業部採油工程処内のシンボル的な採油工員の塑像と「地軌式纜車道」、後者は総軌道長500メートル、傾斜角60度の今は工業古蹟である。纜車とはケーブルカー、通常ケーブ..
【写真説明】左写真は、台湾油磺陳列館傍に立てられた敷地内の絵図、大分草臥れているが、左側下に赤字で「『出磺坑』油田は優に一世紀半の歴史を有し、台湾石油採掘発展の歴史の花形である。当地は、世界最..
【写真説明】国道1号線と3号線の連絡道である快速公路27号線の南側(左写真)に「出磺坑」(中央写真)と謂う地名があり、市販地図帳ではその地点に「台湾油磺陳列館」(右写真)の表記がある。博物館で..
一半議密談の芯である「奸策罠」アジェンダが抬頭する手続きとなった。 自党が市密談公庫グループ密談での予定を下略し、録密談議で審理するという強硬看板を改一粒選りんだ含み益だ。 大体の特品位を抱えるア..
13:17 06/27 自動社説子 by autoeditorial http://autoeditorial.seesaa.net/
前のページ    1  2  3  4  5  6  7  8  9    次のページ