記事「地理」 の 検索結果 1388 件
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近江街道をゆく その1 旅の始まり「近江街道の旅」は、去年の「越前と若狭の旅」の続きである。 「越前と若狭の旅」は「越国(こしのくに)」と呼ばれ、ヤマト王権の勢力が十分に及ばない日本海側の地域でありながら、朝鮮半島や大陸からの交..
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越前と若狭の旅 その53 「敦賀鉄道資料館」で旅を終える敦賀にいるが、ここに来ると渤海(698年〜926年)のことを思い出す。 渤海は、建国以後唐や新羅の勢力を牽制する目的で日本への遣使を行っていて、この渤海の日本への海上交通は「日本道」とよばれ..
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越前と若狭の旅 その52 氣比神宮から金崎宮へ昼食を食べたあと、「三方五湖レインボウライン」を降り、1時間程かけて敦賀まで走り、敦賀の気比神宮に午後2時ころに到着した。 敦賀の気比というと、高校野球の強豪校である敦賀気比を思い出..
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越前と若狭の旅 その51 「三方五湖レインボウライン」にてこれから絶景で有名な「三方五湖レインボウライン」に向かう。 ラインは全長11.24kmあり、標高400mの梅丈岳を縫うように走り、ライン眼下から五湖の絶景が見渡せる有料道路である。 ..
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越前と若狭の旅 その50 「若狭三方縄文博物館DOKIDOKI館」へ立ち寄る三方五湖は、福井県三方郡美浜町と同県三方上中郡若狭町に跨って位置する5つの湖の総称で国指定の名勝となっていて若狭湾国定公園に属している。 三方五湖を一覧表にすると、このような表となる..
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越前と若狭の旅 その49 小浜城跡を歩く小浜公園展望台を降りて、黄星印のホテルアーバンポート前を通り抜け、南川と北川の中洲にある黄矢印の小浜城跡を目指した。 南川を渡り北川も渡ってからようやく行き過ぎたことに気付き、北川に..
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越前と若狭の旅 その48 三丁町と小浜公園を散策「ホテルアーバンポート」は、今回の越前と若狭の旅では一番格の高いホテルだったと感じている。 従業員を集めての夕方の集まりと朝の集まりを垣間見たが、女社長のホテル業にかける気概と気合が半端でな..
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大阪散歩 その5 道頓堀までこのあと3階で、新世界開設当時のジオラマを見学した。 新世界のコンセプトは、パリとニューヨークという欧米を代表する二大都市の風景を模倣した現在のテーマパークに似たものであった。 ..
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越前と若狭の旅 その47 小浜市で「 若狭マリンピア2015花火大会」を見学若狭国分寺跡を発ち、小浜市に入った。 昼食をどこでとろうか迷ったが、黄星印のフィッシャーマンズワーク2階にある「レストラン海幸苑」に決めた。 午後1時半になっていた。 ..
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越前と若狭の旅 その46 若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学熊川宿から小浜を目指して鯖街道を引き続き走り、その途中で明通寺の国宝である三重塔と本堂を見学したが、ここは省略する。 その代わり、福井県立若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学したので紹介する。..
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越前と若狭の旅 その45 「熊川宿」を歩く鯖街道を走って行くと、「御食国(みけつくに)」という言葉に出会った。 御食国とは、古代から平安時代まで、皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだ国のことであ..
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越前と若狭の旅 その44 海津散策後、鯖街道へ海津は西近江路と湖上交通の要衝として栄えた宿場町であり、同時に港町でもある。 この通りをこのまま進んで行くと、琵琶湖湖岸側に風や波から家を守るために造られた石積みが目に入って来た。 ..