記事「対馬」 の 検索結果 619 件
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根の国 の候補地根の国 の候補地 ① 佐世保市 南風﨑町 根 ― 小島川が流れる。佐世保市の中で、意外と遺跡や古墳が多い場所である。 ② 大村湾 東彼杵町 三根郷 ― 坂本郷がある。俵坂を越えて嬉野町..
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対馬出身の大国主神日本書紀 天武紀下 3年3月 岩波文庫 日本書紀(五) P118 対馬国司守 忍海造大国言さく、「銀始めて当国に出でたり。即ち貢上る」 日本書紀 神代上 では大国主神の出自や系譜がいまひ..
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遠の朝廷万葉集 4011 越 4113 美由支布流 古之 ⇒ 対馬北端の古里 304 島門 神代之所念⇒出雲の国譲りと瓊瓊杵尊の天孫降臨 豊玉姫 3668 筑前国 志麻郡 韓亭..
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対馬 上県の 犬ヶ浦・仁田淡海(近江)、越国、吉野、難波などは対馬にあった!!! 犬ヶ浦 『長崎県の地名』(平凡社の地名辞典) P901下 より 天明期(1781-89)の神社大帳は佐佐伊神を鷦鷯神社とする..
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越国を発見魏志倭人伝では対馬に居るのは官ではなく大官である。 万葉集3563 の 比多我多 を比田勝に比定する説がある。 越国は対馬上県の北端に位置する古里・泉である。 万葉集で越は古之と書か..
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名兒山万葉集963の名兒山は題詞より「筑前国宗形郡」にある。原文の歌の漢字に「鷄」があるので、対馬の鷄知の住吉神社(宗像神を祀る)付近である。 参照 平凡社の地名辞典 長崎県巻 P968中 新羅は..
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竺紫の君 石井古事記の竺紫は欽明紀の竹斯嶋(書紀3巻 P314)で、東方領物部莫奇武連の東方は対馬である。東(あつま)が対馬なのは書紀2巻 P96の陸奥国が対馬の竹敷だから。 1402年の有名な朝鮮の地図「混..
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継体天皇男大迹天皇は「男」より上対馬町富浦の小字「男ノ浦」の人。
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海神海人―近海で操業する漁師 海神―貿易商社の武装豪族 阿曇連 少彦名命(侏儒国の人)で、海若ともいい、南方系海神である。 万葉集354の日置少老の日置は鹿児島県日置郡をいい、「少」は少彦名命..
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山口県宇部市古事記の竺紫日向高千穂は対馬北端の向日郷で、橘の小戸の檍原の檍(あはき)の木は鰐浦の国指定天然記念物のヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)である。 山幸彦が鰐浦・豊で釣りをしていたなら塩椎神は椎根島の人..
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飯塚の立岩遺跡 吉野ヶ里遺跡 向津具 下関市考古学では古墳が多くあって、石棺(棺桶)から鏡や剣などの宝物が地域で一番出る場所を「王都」「王邑」と定義する。しかし甕棺墓のような弥生墓や古墳は墓場であり、忌み嫌う黄泉の地であって、考古学は八王子..
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対馬の最北端平凡社の地名辞典 長崎県巻 P911中 に「豊さきの宇生の浦」とある。 ここが豊国の宇佐である。 豊国の宇佐は鰐浦沖の海栗(ウニ)島か。 鰐浦の「妙見の瀬戸」は海が浅くて船の底を石でこすった..