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尚巴志伝」 の検索結果 84 記事
サハチ(尚巴志)が首里グスクを奪い取った日の夕方、浦添の遊女屋『喜羅摩』では、早々と戦勝祝いの宴が賑やかに開かれていました。 招待したのは侍女の頭を務めるナーサで、招待されたのは中山王の重臣たちでし..
1406年2月9日、島添大里グスクで、馬天ヌル、佐敷ヌル、フカマヌルによって、出陣の儀式が行なわれました。 儀式が終わるとサハチ(尚巴志)の弟、マサンルーが100人の兵を率いて、糸数グスクに向かいま..
首里グスクの完成の儀式が行なわれる2月10日の翌日、山南王のシタルーを攻めるとの出撃要請が、八重瀬按司のタブチからサハチ(尚巴志)のもとに来ました。 サハチは大グスク按司と一緒に玉グスクに行って、東..
久し振りに馬天ヌルと娘のササと一緒に、年末年始を過ごしたヒューガは五日になると慶良間の島から兵の移動を開始します。 サハチ(尚巴志)の父は慶良間の島には帰らず、孫たちと過ごしていました。 正月..
ウニタキが望月党を倒してから、浦添グスクの侍女のナーサは「よろずや」にちょくちょく遊びに来るようになりました。 ナーサは侍女を引退して、何か商売を始めようと思っているようです。 長年、女たちを使っ..
勝連の噂が飛び交っていた7月の下旬、大きな台風がやって来ました。 島添大里も佐敷も平田もそれ程の被害はなくて助かります。 ウニタキが調べた所によると、建築中の首里グスクの石垣がかなり崩れたようです..
永楽三年(1405年)の正月の末、シンゴとクルシの船が馬天浜に来て、サムとクルーがヤマトゥ旅から帰って来ました。 3月の半ばには島尻大里で盛大な婚礼があり、南部の按司たちが勢揃いしました。 サハチ..
11月に冊封使は帰って行きました。 サハチ(尚巴志)は「まるずや」でウニタキと会います。 ウニタキは、中山王の武寧と山南王のシタルーの間にすきま風が吹き始めたようだと言います。 シタルーは明国の..
ウニタキは浦添の「よろずや」にいるムトゥから信じられない話を聞きます。 浦添グスクの侍女たちを仕切っているナーサが、ウニタキの妻だったウニョンの本当の母親だったというのです。 ナーサは三十三年..
1404年の4月、明国から初めて冊封使が来ました。 中山王の武寧と山南王のシタルーは、冊封使を大歓迎して迎えましたが、サハチ(尚巴志)には関係のない事でした。 その頃、サハチはシンゴの船に乗っ..
正月の下旬に、去年の夏にヤマトゥ旅に行ったサハチ(尚巴志)の弟のマタルーと従弟のマガーチが帰って来ました。 サハチは二人から、対馬にいるサハチの娘のユキが、サイムンタルー(早田左衛門次郎)の息子の六..
奥間で生まれたサハチ(尚巴志)の息子のサタルーが婚礼を挙げる事になり、サハチはヤキチと一緒に奥間に行きます。 奥間に着いた途端、サハチは襲撃を受けます。 サハチを襲ったのは初めて会うサタルーでした..
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