記事「徳川家康」 の 検索結果 1350 件
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岡崎城愛知県岡崎市にある徳川家康生誕の城で龍城とも呼ばれています。 家康はその後、浜松城、江戸城へと本拠地を移していきました。現在の天守閣は、昭和34年(1959年)に再建されたものです。
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徳川家康像(駿府)徳川家康は6歳の頃より18歳の頃まで、今川家の人質として駿府で生活し、 晩年には駿府城に移って「駿府の大御所」として実権を掌握していました。 駿府城の本丸跡に鷹狩の出で立ちの徳川家康の像があります。
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元城町東照宮静岡県浜松市の浜松城の直ぐ東、浜松城の前身である引間城があった地に建てられた東照宮。引間城は元亀元年(1570年)に徳川家康が入城す ると、範囲を西に大きく拡大して浜松城となりました。
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家康・秀吉像浜松城近くの元城町東照宮境内に建てられた徳川家康と豊臣秀吉の像。 秀吉は16歳前後の3年間、引間城主配下の松下氏に仕官して浜松で暮らし、家康はその後の引間城を拡張、後の浜松城の基礎を築きました。
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浜松城静岡県浜松市にある野面積みの石垣で有名なお城で、元亀元年(1570年)から17年間、徳川家康の居城でした。三方が原の戦いは、この城の北方約10kmのところで行われ、惨敗した家康はこの城に逃げ帰ってきま..
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徳川家康像(浜松城)元亀元年(1570年)に徳川家康は、武田信玄の侵攻に備えるため本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移し、城名・地名ともども「浜松」と改めました。 徳川家康は29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごしま..
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横浜熊野神社横浜市鶴見区の旧東海道沿いにある神社。社伝によれば、嵯峨天皇の御宇、紀州熊野別当尊慶の勧請とのこと。徳川家康が江戸入国の 際にこの神社に立ち寄り、天下泰平、国家安穏、武運長久を祈念したと伝わっているそ..
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徳川家康墓所徳川家康の死は元和2年(1616年)4月17日巳の刻(午前10時頃)。 家康は始め駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られていましたが、一周忌を 経て、江戸城の真北に在る日光の東照社に改葬されたと..
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日光東照宮徳川家康を神格化した東照大権現を祀る栃木県日光市にある神社。 絢爛豪華な社殿群は殆どが寛永13年(1636年)に建て替えられたもので、 陽明門、唐門などの国宝もあり、世界文化遺産にも登録されています。..
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徳川家康像(しかみ像)この像は「しかみ像」と呼ばれる肖像画をもとにつくられた石像です。 徳川家康は三方ケ原の戦いで武田信玄に惨敗したとき、自戒の念を 忘れることのないように「しかみ像」を描かせたと云われています。
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松平元康像松平元康は松平広忠の嫡男として岡崎城で生まれた後の徳川家康。 人質として身を寄せていた駿府で元服し、今川義元の元の字を賜り 次郎三郎元信と名乗りましたが、さらにまた蔵人左元康と改めました。
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徳川家康像(岡崎城)徳川家康は松平広忠の嫡男として天文11年(1542年)岡崎城で誕生。 6歳の時、人質として駿府に送られたために岡崎城を離れましたが、 桶狭間の戦いで今川義元が討たれた直後に、岡崎城に戻りました。