記事「日経新聞」 の 検索結果 2563 件
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(1~6)序 現在、外務省には陸奥宗光の銅像が二つある。 一つは、霞が関の本省東口玄関横に立つ、像本体と台座を合わせ五メートル近い高さの立像で、第二次世界大戦後の一九六六年に、陸奥没後七十年を記念し..
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『ふりさけ見れば』(564~「安禄山の乱の時には陛下とともに蜀にの逃れました。わたくしは馬嵬駅で夫と別れ、蜀には第一夫人の若晴さんが同行したのです」 「それは知りませんでした。若晴さんが生きていたとは……」 「安禄山..
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日経新聞で3月1日から『陥穽 陸奥宗光の青春』が連載開始日経新聞で3月1日から『陥穽』がスタートします。 新しい連載小説 陥穽 陸奥宗光の青春 辻原 登 小杉 小二郎 画 本紙朝刊連載小説、安部龍太郎氏の「ふりさけ見れば」は2..
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『ふりさけ見れば』(552~557)終章「琴弾き岩」 「いよいよですね。天下の雑草抜きが」 中臣音麻呂はいつものように真備に付き従っている。唐から帰国して十年。真備は七十、音麻呂は五十半ばになっていた。 「朝より回て日々春衣..
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『ふりさけ見れば』(548~551)「いったい、どうして」 「もう生きていられないと思って滻水のほとりに立っていた時、劉駱谷さんに助けていただきました。その後、石晧然さんにお世話になりました」 「それならどうして、知らせてく..
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日銀新総裁 2023事前の報道で流れた 雨宮副総裁との声が多かったですが 日経新聞が「日銀新総裁に植田氏」と報じています 植田氏はかつて日銀の審議委員を務めていました 2023年の総裁人事では、下..
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『ふりさけ見れば』(542~547)先を急ぐ一行は、夜になって金城県に着いた。 夜半になって潼関の前軍の指揮をとっていた王思礼が、敗残の兵二千ばかりをひきいて駆けつけた。 「哥舒翰どのは敵に捕らわれました。洛陽に連れて行..
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『ふりさけ見れば』(536~541)「こうしたこともあろうかと、安禄山のまわりに手の者を入れております。その者からの知らせによれば、安禄山は崔乾祐を哥舒翰のもとにつかわし、身方になるなら河西と隴右の支配を任せると申し入れたそうで..
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『ふりさけ見れば』(530~535)安禄山と同様に突厥人の血を引く哥舒翰は、隴右と河西の節度使に任じられると、西域と范陽を結ぶ交易路に割って入り、通交料や警固料を徴収するようになった。 激怒した安禄山は玄宗皇帝に不正を訴え..
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『ふりさけ見れば』(524~529)洛陽方面の方が雪が多かったようで、巨大な楼門の屋根が重たげな雪におおわれている。 「さて、鶏鳴でも真似てみるかね」 王維が緊張に身を固くしながらも軽口を叩いた。 「仕方があるまい。私..
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『コロナ5類移行時、屋内マスク不要に 週内に閣僚協議』とな?なんだかなあ!色々考えさせられます今朝も起きて雨戸を開けると、物干し竿に雨粒。 どうもお天気の塩梅がよくないようです。 塩梅がよくないといえば、今やってる大相撲も。 先ずはお相撲中継って、やっぱ早い時刻からやってたんです..
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『ふりさけ見れば』(518~523)事は難しい問題をはらんでいる。この要求に応じるべきか否か迷った玄宗は、仲麻呂と王維を呼んで諮問した。 「応じた場合、あるいは拒んだ場合、いかなる得失があるか答えよ。まず王維、応じる得を述べ..