記事「日経新聞」 の 検索結果 2563 件
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『ふりさけ見れば』(447~452)第九章「遠い祖国」 仲麻呂らが長安を出発した頃、先発していた吉備真備らは揚州に向かっていた。 やがて揚州大明寺の栖霊塔が見えてきた。 広大な土地が遠々とつづくこの地方では、栖霊塔は大明..
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『ふりさけ見れば』(442~446)「明日でお別れという時になって、そのことが気になってきたのです。そこでお互いを知るために、生涯の秘密をひとつずつ打ち明けることにしませんか」 「迷いますね。何を話したらいいか」 「それなら..
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『ふりさけ見れば』(436~441)仲麻呂の送別会は未の刻(午後二時)から沈香亭で行われた。 出席したのは玄宗と楊貴妃、楊国忠と虢国夫人美雨と秦国夫人玉鈴、楊錡と妻の太華公主。それに王維と数人の進士派の文官たち。 「私は..
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『ふりさけ見れば』(430~435)仲麻呂は興奮のあまり眠れないまま、記憶した文章を何度も吟味してみた。『日本書紀』の記述とは喰いちがう所も多いが、薩摩に住みついた呉の一族が、広い土地を求めて大和に移り住んだという件は神武天皇..
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『ふりさけ見れば』(424~429)玉鈴はすぐに楊貴妃を訪ね、仲麻呂の要望を伝てくれた。 「六月一日に御披三教殿への立ち入りを許可していただいたそうです」 「ありがとうございます。六月一日は何かの祝日なのでしょうか」 「..
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赤・減・下・失・・・・見出し記事日経新聞をパラパラ見ると表題の漢字がいたるところにばら撒かれている。 赤字・減少・損失・失業・下落・・・・・。 3月決算見込みが赤字、前年比減何%などは見出しにしなくても分かりきったこと。 いい..
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『ふりさけ見れば』(418~423)秘書監にになった仲麻呂の生活は穏やかだった。八月には帰国することが許され、玄宗皇帝の側近の任は解かれている。 仲麻呂は時間を見つけては府庫に入り、二十万巻と言われる蔵書の棚の間を歩き回っ..
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『ふりさけ見れば』(412~417)「先日、井真成の墓に詣でてきたよ。お前が書いた墓誌を、墓の前で翼に読んでもらった」 翼がいかに立派に読んでくれたかひとしきり語り、真備は樹下地区の弁正の家を訪ねたことに話を移した。 「あ..
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さすが、 楽天、ライブドア、日経新聞・・・・岩隈でまた楽天が勝った。 しかも今年はトップバッターに座る磯部がいきなり火をつけ16点。 この日、ライブドアのホームページではいつものページの代わりに ライブドアが10-0で勝利しスポーツ新聞一..
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『ふりさけ見れば』(406~411)「大臣になる機会が来るまでズルワーンさまが守って下さるから、焦らず腐らず機会を待て。その時こそ、お前のもっとも優れた才質が発揮されるだろう」 十二月十五日、玄宗皇帝の一行が長安にもどってき..
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『ふりさけ見れば』(400~405)翌日は休息して長旅の疲れをいやした。 次の朝、思光の馬車に迎えられ、まず昇平坊を訊ねた。翼が育った家は昔のままだが、別の役人の官舎になっていた。 「どうだ。いろいろ思い出すだろう」 ..
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『ふりさけ見れば』(394~399)王維は仲麻呂の返事を待たずに隣の部屋に案内した。李林甫は寝台にうつ伏せになり、灸の治療を受けていた。 その姿は老人である。いや、もっと辛辣な言い方をすれば、死の足音におびえるひとつの肉塊..