記事「日経新聞」 の 検索結果 2563 件
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『ふりさけ見れば』(73~78)仲麻呂は朗読を終え、墓前に供えた革袋の酒を墓道にまいた。 「真成さんはよく聞きに来ました。国ではどんな服を着ているのかと」 大秦の白面の若者が言った。 「そうそう。特に祭りと結婚..
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『ふりさけ見れば』(67~72)「死因は毒だと、医師が認めたのか」 「はい。坊内に住む医師が確かめました」 「しかし……いったいどうして」 仲麻呂は真成の枕元にしやがみ込み、開いたままの目を閉じた。そして乱れた襟..
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『ふりさけ見れば』(61~66)真備の書状が届いた日の午後、仲麻呂は大業坊の井真成の寮を訪ねた。 真成は官服の制作に没頭していた。 没頭すると寝食を忘れる質なので、頬がこけ細いあごが無精ひげにおおわれている。 ..
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『ふりさけ見れば』(55~60)「今日帰宅する時、裸足の少女から銭を恵んでくれと頼まれた。ところが私は、応じてやることができなかった。張宰相に突き放された気がして、心が棘立っていたからだ」 「お酒、まだありますか」 ..
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『ふりさけ見れば』(49~54)「ところで帰国のことだが、蘇州まで行って心が定まったかね」 「出発前に若晴と話し合いました。十五年間連れ添ってくれた妻を残して帰るのは断腸の思いですが、遣唐使に選ばれた時に帝と祖国に身命..
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『ふりさけ見れば』(43~48)「おう、仲麻呂、真備と吉麻呂も来たか」 船人が渋い笑みを浮かべた。 五十四歳になるが、海で鍛えた体は引き締まり、筋金が入っているようだ。 「何か釣れるのですか」 「久々に唐に来..
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『ふりさけ見れば』(37~42)三日、四日、五日と舟に揺られていると、まわりの風景が少しずつ変わっていく。 やがて淮河が近くなると、百隻ばかりの舟を珠数つなぎにした一行とすれちがった。 「仲麻呂、あれを見ろよ」 ..
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『ふりさけ見れば』(31~36)開元二十一年(七三三)九月四日、阿倍仲麻呂らは二両の馬車をつらねて興慶宮を出発した。 仲麻呂は馬車の窓を開けて、庶民の窮状の度合いを計ろうとした。 飢餓が深刻化するにつれて物乞い..
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『ふりさけ見れば』(25~30)(仲麻呂のところは、どうだろう) 仲麻呂とは幼馴染である。執節使(全権大使)をつとめた粟田真人が、後進を育てるために開いた私塾で共に学んだ仲だった。 だが六歳年下の仲麻呂に、真備は..
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『ふりさけ見れば』(19~24)「お叱りを受けることは分かっていましたが、あれだけの小麦があれば多くの患者さんたちを助けることができます」 若晴は清楚で涼しげな整った顔立ちをしていた。 「それが分かるが、私の立場と..
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『ふりさけ見れば』(13~18)井真成は大業坊にある鴻臚寺の寮に住んでいた。 日本からばかりでなく、東は新羅や渤海、北は契丹や突厥、西は吐蕃などから来た留学生が同じ棟に住んで勉強に励んだり、学業期間を終えて仕事に従..
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『ふりさけ見れば」(7~12)「これも君が私を張さまに推挙してくれたお陰だよ。その恩は饅頭ぐらいではとても返せない」 「私はただ、何かの折に君のことを話しただけだよ。そんな風に恩義を感じてもらうことじゃない」 「い..