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藤沢周平」 の検索結果 210 記事
日残りて昏るるに未だ遠しー。家督をゆずり、離れに起臥する隠居の身となった三屋清左衛門は、日録を記すことを自らに課した。世間から隔てられた寂寥感、老いた身を襲う悔恨。しかし、藩の執政府は紛糾の渦..
 ・・・・・・ 藤沢:  ・・・近年読んだ鶴見俊輔さんの「戦時期日本の精神史」の中に、「十五年戦争の始まるまで、日本の教育体系は二つに分かれて設計されていました。小学校教育と兵士の教育においては、..
 私は政治というものに、時にはかなり懐疑的な感想を抱くことがある。国を治め、天下を平穏に保つのが、政治の目的だろうと思うが、古来政治によって世の中が平和で、万民が幸福だった時代がどれほどあったろうかと..
 昭和(太平洋戦争)のあの年代に喧伝された武士道は、本来の武士道にてらせば似て非なるものだったという指摘がある。それなら本来の武士道なら容認していいかというと、私はそこにもまだこだわりがある。  儒..
 芭蕉翁の臑(すね)かぢって夕涼  成美に送る句稿の中に、一茶はこの句をすべりこませた。百姓俳諧者一茶のひそかな居直りを含ませた句だったが、成美はそれを自嘲の句ととったかも知れなかった。  古..
 ようするに米沢藩では、年貢の増徴にしろ特産物の専売制にしろ、他藩にさきがけてはるか以前に手をつけざるを得なかったのであり、他藩が年貢をきびしく取り立てたり、財政救済のために換金作物や特産品の専売制を..
みんな去った。がらんとした空地を、もの憂い明るみが照らしていた。いつの間にか、月がのぼっていたのである。湿った夜気の中に、何ごとも起こらなかったように、花の匂いが漂った。  月の光が、家の前に立っ..
― あんなものか。 と思っていた。玄次郎の眼には、頭も上げられない瀕死の老人の姿が残っている。長い間胸の奥に、いつかあばきたててやると思い続けてきた奸悪なたくらみの正体が、あの弱弱しい老人だったこと..
 啄木が、のちに妻となる堀合節子と知り合ったのは十四歳、盛岡尋常中学校二年のときである。同じく盛岡女学校の生徒だった節子は、学校から帰る啄木を自分の家の軒下に立ってじっと見つめていたという。しかし、そ..
「逃げたら、殺すぞ」 「助けてくれよ、幸吉」  押さえこまれながら、長次郎は手をあわせた。悪寒に襲われたように身体をふるわせている。 「お前はいつもそう言ってきたが、今度はそういうわけにはいかね..
武家の世界だから阿諛も追従もない、というわけにはいかず、実際には家の保全とか、立身出世とかのからみで物も動けば金も動くのが常識である。物や金を動かすのが不得手な人間が出世に遅れることは、他の世界とさ..
・・・・・・  清河(八郎)も石原(莞爾)も、自分より下にいる者、また慕って集まってくる者に対するときは、言語態度きわめてねんごろで、丁寧だったことはよく知られている。清河、石原の侮蔑、愚弄は、お..
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