記事「「オズワルド・チェンバーズ」」 の 検索結果 30 件
-
「祈りの時を変える黙想」限定復刊中!オズワルド・チェンバーズ著「『祈りの時』を変える黙想」が限定復刊されているようです。 いのちのことば社 2011年限定復刊 私はこの本が絶版になっていた頃(2009年秋)、たまたまブックオ..
-
沈黙しか与えられないときクリスチャンとしてのあなたの人生に助けとなるに違いないものを、持ちつづけられるようにとあなたは祈りました。それを大切にとっておくことができるようにと、あなたはお願いしました。そして突然、いっさいが粉々..
-
成長の測り「恵みの成長は、後退しなかった事実によってではなく、あなたが、霊的に自分はどこにいるのかを確実に知る洞察力をどれだけ備えたかで測られる。」 オズワルド・チェンバーズ
-
人と話すのではなく、人のために神と話す「誰かのたましいのためにとりなしをするようにと、神があなたに重荷を与えられたときは、それから逃げようとして、その人たちの所へおしゃべりをしに行ってはなりません。彼らのために神とお話をするよりも、彼らと..
-
神は誰の祈りに答えるのか?「神はわたしたちの祈りに答えるのではありません。人生を支配していらっしゃるイエス・キリストの祈りに答えてくださるのです。祈りによってわたしたちは神の御心がどういうものであるかを知るようになります。」 ..
-
誤った祈り方「わたしたちの願いどおりのことをさせてくださるように、そのお許しが出るまで頑強に祈りを貫くというのは、誤った祈り方です。そのような求め方はセンチメンタルな幻想にすぎません。 また、神が与えてくだ..
-
祈りは神のいのちの結果「まだ生まれていないのに、わたしはこれからどんな生き方をするのだろう、などと考える人を想像するのは、ばかげたことです。ところが知的な人は、同じようなばかげたことを、祈りについてしています。・・・・・祈..
-
「みこころが行なわれますように」という無礼(3)「『みこころが行なわれますように』というのは、本来は神との最も親しい交わりから出てくる祈りなのです。その交わりの中で、わたしは思うとおりを語らせていただくのです。」 オズワルド・チェンバーズ
-
「みこころが行なわれますように」という無礼(2)「とりなしの祈りをまったくしないのに、神のみ前で『みこころが行なわれますように』という祈りの言葉を口から出すのは、神に対する侮辱です。それは無礼な不信仰の祈りです。神がなさりたいことを自由にしてくださ..
-
「みこころが行なわれますように」という無礼(1)「『みこころが行なわれますように』とわたしが祈るのは、神のみ旨が何であるかを知りたいと思って努力するよりも、この祈りの言葉を言うほうが簡単だからか。」 オズワルド・チェンバーズ
-
なぜ祈るのか②「なぜ祈るのかといえば、わたしたちの父なる神と親しい交わりをいただいているからです。」 オズワルド・チェンバーズ
-
心の底から「求めなさい」「わたしたちの求めるものが心の底からのものであるかどうか、簡単に知ることができます。祈っていないときにどんな生き方をしているかによって、わかります。」 オズワルド・チェンバーズ
- 前へ
- 次へ