記事「「クリスチャンの葛藤について」」 の 検索結果 6 件
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ローマ7章の葛藤状態にある人は「心にいだく不義がある人」ではないもしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。(詩篇66:18) 新生したクリスチャンであれば、必ず「私は自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っている」..
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ローマ8章1節の「罪に定められることはない」とはこういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。(ローマ8:1..
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ローマ6章・7章・8章の関係は?簡単にいいますと、ローマ6章は「神を悲しませる悪」(=罪)からの解放を扱っており、ローマ7章は「神を喜ばせようとする善」(=肉)からの解放を扱っています。ローマ8章は「いのちの御霊の法則」による解放を..
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したくない悪を行なっているのは、私ではない!(2)ローマ7章には、パウロの葛藤の経験が書かれている。 それは「神の律法に従いたいと思っているのにそれができず、かえってしたくない悪を行なっている」というものである。 そしてパウロは「自分のしたく..
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したくない悪を行なっているのは、私ではない!(ローマ7章)前回の「クリスチャンの葛藤の原因」の記事で、クリスチャンが経験する「神の律法に従いたいと願っているのにそれができず、かえってしたくない悪を行なってしまう」という葛藤の原因は①神の律法(法則)②内なる人..
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クリスチャンの葛藤の原因(ローマ7章)新生したクリスチャンであれば、その程度の違いはあっても、ローマ7章にあるパウロの葛藤を経験したことがあるだろう。 すなわち、「神の律法に従いたいという願いはあるのにそれができず、かえって、し..
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