記事「「クリスチャン生活全般」」 の 検索結果 23 件
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祈りにおいても、この世という団体の問題を見る必要があるあなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであ..
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バプテスマ(初歩の教え)1.救いの二面性 神の国の二面性・・・天的な面と地的な面 救いの二面性・・・・・神の御前での救いと人の前での救い 神の御前での救い・・・ただ信仰による 人の前での救い・・・・・バプテス..
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救いの二面性(信じることとバプテスマの関係)まことに、まことに、あなたがたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。(ヨハネ3:5) 聖書の「神の国」とは神の支配という意味です。 神の主権が及ぶす..
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パン種は「生モノかどうか」「種の状態か実の状態か」で判断する(パン種とは何か?②)例えば、あなたがレストランでカレーライスと野菜サラダを注文したとします。注文したカレーライスと野菜サラダがテーブルに運ばれてきました。 「いただきます」 カレーライスを口に入れて噛んだ時に..
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「パン種」とは何か?イエスは彼らに言われた。「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」(マタイ16:6) イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけな..
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「生まれながらの私」は枯れたいちじくの木翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。 道端にいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならない..
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したくない悪を行なっているのは、私ではない!(2)ローマ7章には、パウロの葛藤の経験が書かれている。 それは「神の律法に従いたいと思っているのにそれができず、かえってしたくない悪を行なっている」というものである。 そしてパウロは「自分のしたく..
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したくない悪を行なっているのは、私ではない!(ローマ7章)前回の「クリスチャンの葛藤の原因」の記事で、クリスチャンが経験する「神の律法に従いたいと願っているのにそれができず、かえってしたくない悪を行なってしまう」という葛藤の原因は①神の律法(法則)②内なる人..
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クリスチャンの葛藤の原因(ローマ7章)新生したクリスチャンであれば、その程度の違いはあっても、ローマ7章にあるパウロの葛藤を経験したことがあるだろう。 すなわち、「神の律法に従いたいという願いはあるのにそれができず、かえって、し..
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クリスチャンの祭司としての務めはキリストの死の中にとどまること私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたの..
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聖霊がクリスチャンを所有しなければならない自分の内側に聖霊が住んでいることを知らないクリスチャンは、結構多いのかもしれない。 聖霊が内に住んでいるように「感じられない」し、罪のゆるし(あるいは天国行き)についての教えしか聞いたことがな..
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「罪を捨てる」とは?私がイエスを救い主として受け入れて、これからクリスチャンとして生きていこうとした時に、「罪を悔い改める」ということがよくわからず悩んだことがあった。自分の罪を悔い改めたいという願いはあるものの、いった..
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