記事「キリスト教」 の 検索結果 5029 件
-
山上の説教(10)清さの戦い「心の清い人は幸い」の続きです。 現代社会では、官能的なことが溢れかえって人々の社会生活が低下しています。本や新聞雑誌、テレビやインターネット、宣伝広告など、また普段の会話においてさえも、人..
-
山上の説教(9)心の清い人「心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る」(マタイ5,8)。 「神を見せてくれたら、神を信じる」という人に対して「あなたの心を見せてくれたら神を見せよう!」と答えた教父がいました。心..
-
教会と聖体使徒的勧告『愛の秘跡』解説、最終回です。 アダムの脇腹からエバが生まれたように、キリストの脇腹から新しいエバである教会が生まれました。十字架の犠牲よってご自身を教会に与え(自己贈与)聖体を制..
-
聖霊と聖体モーゼがヘブライの民をエジプトの奴隷から解放しました。 ヘブライの民をエジプトの奴隷状態から解放した「過ぎ越し」の犠牲(いけにえ)は、エジプトのすべての初子を捧げることでした。そして、砂漠の..
-
典礼と聖体ベネディクト16世教皇が使徒的勧告「愛の秘跡」を出しました。その解説です… 「祈りの形は、信仰の形」(lex ornadi, lex credendi. 祈りの法は信仰の法)です。信仰は心で..
-
岩の上に建てた家「砂上の楼閣」という言葉があります。 聖書にそのたとえ話が出てきます。砂上には簡単に家が建てられますが、雨が降って風が吹くと、簡単に流され、壊されます。逆に、岩の上に家を建てるのは苦労します..
-
キリストの御心神として「人間を救いたい」と願い、人として「一緒に償いを捧げて欲しい」と頼んでいます。 人間の過ちを償うために人間の血を流し、神にふさわしく謝るために神の第二のペルソナという立場に立たれます..
-
山上の説教(8)聖なる野心正義一辺倒では、人類の抱える問題を解決することはできません。 正義を強引に実行していけば、傷つく人が出てきて当然です。人々は、神の子としての人間の尊厳を認めよと言うでしょう。『神は愛』(ヨハ..
-
山上の説教(7)義に飢え渇く人「義に飢え渇く人々」とは… 最高善であり、生きることの最終目的である神に心を向け、全身全霊を傾けて神を愛するよう努める人のことです。それが聖性でもあります。聖書では、聖なる生活を送っている人..
-
山上の説教(6)悲しむ人「その人たちは慰められる。」主の慰めを受ける悲しむ人とは…? 自分の望みが叶えられないので泣く人は、自己愛や高慢ゆえに悲しむ人です。キリストの十字架を嫌がる人は、苦しみや困難を嘆き悲しみます..
-
命を懸けて「いのち」を生きる今年11月24日に188人の殉教者が長崎で列福されます。 この人たちは、一度も「死にたい」と思ったことはありませんでした。逆に真のいのちを生きたいと願っていました。そのために、過ぎ行くこの世..
-
聖体行列学校の隣にある本原教会で聖体行列がありました。 教会の裏手に、通称「マリア山」という木々に囲まれた小高い丘があります。迫害時代、警吏の目を逃れてここに集まり、海を見てローマのパーパ様(教皇)..