記事「ジョン・ニコル」 の 検索結果 56 件
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バイロン伝 INDEX『バイロン傳』 ジョン・ニコル John Nichol (1833-1894)著 三好十郎 (1902-1958)訳 ⇒詳細・ダウンロード 全54エントリー(2009/1/2~2009/2..
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バイロン伝書名:バイロン傅 原題:Byron "English Men of Letters" series (1880) 著者:ジョン・ニコル John Nichol (1833-1894) 訳者:三好..
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『バイロン伝』序序 バイロンは、英國近代が産出した、最も偉大なる性格の一つである。そして、偉大なる性格は、常に或る程度までは、一個の謎である。しかし、と言ふよりも、それ故に、バイロンに就いては、西洋各國に於て..
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『バイロン伝』第一章 1/1第一章 血統と家族 英國の十七世紀から十八世紀までを、文學史では、大體に於て擬古典主義の時代と呼ぶ。擬古典主義と言ふ言葉が正確に當時の文學の傾向を言ひ盡してゐるかどうかは問題であるが、少くとも..
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『バイロン伝』第二章 1/4第二章 幼時及び學校生活 それから間もなく、バイロン夫人は幼兒のゴルドンを伴つて、スコットランドへ行つた。そして其處にゐる親類の家へ暫く滯在してゐた後で、アベルディーンの或る小さな家に住むこと..
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『バイロン伝』第二章 2/4一七九六年、彼はアベルディーンで猩紅熱にかゝつた。それが癒ると、母に連れられてバラターに行つて靜養した。すつかり身體が囘復すると、彼はよく方々を歩き廻つて時を費した。當時に就いて彼はかう書いてゐる。..
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『バイロン伝』第二章 3/4ハロウ學校はヨセフ・ドウルリー博士の監督下にあつた。このドウルリー博士は才學すぐれた立派な教育家であつた。この人に對してはバイロンは生涯、恩義を感じてゐた。そして彼の事を話す時には、いつも尊敬の口調..
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『バイロン伝』第二章 4/4ハロウ學校時代のバイロンに就いて、もう一つ看過すべからざる事がある。これは彼の一生を不幸にした事件であつた。と言ふのは、即ち彼のマリー・アン・チャウォースへの失戀事件である。 このマリーはバイロ..
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『バイロン伝』第三章 1/5第三章 ケンブリッヂ 一八〇五年の十月になつて、ドウルリー博士にすゝめられて、バイロンはケンブリッヂ大學のトリニティ・カレッヂに轉校した。そして其處に約三年足らずの間在學してゐた。然し、在學し..
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『バイロン伝』第三章 2/5この寄稿の手紙は、バイロンとマッシュースとの關係の一端をよく現はしてゐると同時に、バイロンとマッシュースの性格を端的に示してゐる。 要するに詩人とこの秀才との仲は、非常に親密なものであつた。同じ..
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『バイロン伝』第三章 3/5以上はケンブリッヂ時代に於ける學友である。ところが前にも言つた通りに、詩人は學校にはあまり出席しなかつた。そしてよくケンブリッヂを留守にして方々遊び歩いた。そのために、大學以外でも友達が出來た。 ..
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『バイロン伝』第三章 4/5一八〇八年の三月、彼の詩集の『懶惰の時』が、『エディンバラ』紙上で酷評を受けた。この批評はブローガム卿の筆になつたもので、十九世紀初頭に流行したくそみそ批評の一標本と言つたやうな、無茶な批評であつた..
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