記事「ドーバー」 の 検索結果 102 件
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ホッと空の物語42‐海峡のモグラ-パリの生活‐210月になると、ボジョレーヌーボー(新ボジョレー)と言う新酒のワインが出る。このワインは寝かせて美味しくなると言うものではなく、せいぜい数年で終わりにする。ホテルの近くの表通りをすこし入ったところに、..
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ホッと空の物語41‐海峡のモグラ-パリの生活‐1調達活動でパリの外に出張する以外は、オーレの事務所で仕事をしていた。宿は地下鉄ノートルダム ド ノレット駅の近くのホテルブリタニーにした。このホテルはロビンスがパリの定宿にしていたところで、多い時は同..
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ホッと空の物語40‐海峡のモグラ-欧州購入紀行課題は調達品(購入品)である。カッタヘッド駆動装置はロビンスより購入、ジャッキ類は日本製としたが、マンロック、エレクター真空装置、セグメント受取り吊り上装置、掘削延長に伴う資機材受取り装置、大規模受電..
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ホッと空の物語39‐海峡のモグラ‐さすがの日本製造1987年7月25日にT2,3の契約サインが行われ、29日に帰国。31日に社内のキックオフミーティング(スタート会議)が行われた。営業、設計、調達、品質管理、電装など関係部門が集まって、案件の説明、工..
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ホッと空の物語38‐海峡のモグラ-真相は?オーレ事務所で作業をしていて話を聞いたり書類を見ているうちに、これまでの経過が見えてきた。推測はこうである。 施工者グループは泥水派のCTGと土圧派のTMCが受注を争い、TMCが勝利して機種は土..
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ホッと空の物語37‐海峡のモグラ-勝利の美酒TMCとの協議は仕様、契約条件の一語一句をつめていく。後日の係争の目を完全に摘むためである。この業界では実施段階で紛争になることもあるが、このプロジェクトではそのようなことを避けるため、用語の誤解釈が..
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ホッと空の物語36‐海峡のモグラ-最後の苦闘7月10日から、不眠不休の苦闘の日々が始まった。午前はオーレ事務所で書類の準備、午後はソファーで仮眠、夕方からTMCと協議そして夜遅く終了と言う日々が続いた。 TMCとDHIが夕方まで交渉していたの..
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ホッと空の物語35‐海峡のモグラ-単独責任の重み二社コンソーシアムの単独責任。。。。 翌7月7日(火) 二社での遂行を議論したが、たいした結論も無く、すっきりしないままに時間が過ぎて行った。そして夕方になってディックが本音を吐いた。 ディッ..
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ホッと空の物語34‐海峡のモグラ-青天の霹靂7月6日、パリのオーレ事務所 ディック、ロビンスの顧問弁護士デュプレー、杉村、端元、近藤そしてオーレと主要メンバー全員が揃っていた。 FCBが離脱しロビンスとKHIの2社で続行することになった。シ..
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ホッと空の物語33‐海峡のモグラ-不可解な動き三社から二社へ... コスト積算を待つ段階で、不可解な動きが出てきた。 5月08日(金)になって、T2,3は原点に戻ってスラリー式が採用されるとの情報が何処からか出てきた。これに対して、FCBとロ..
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ホッと空の物語32‐海峡のモグラ-休息バカンスようやくT2,3の三社コンソの活動は軌道に乗り、後はコストの積算となった。これは各社の進捗待ちで、時間的に余裕が出来た。そこで妻を呼ぶ事にした。5月2日に来仏した。早朝便で着いたが寝坊をしてしまい、迎..
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ホッと空の物語31‐海峡のモグラ-同床異夢の三社三社コンソーシアム 2月26日(木):TMCマルタン社長、フィルマン氏へ三社合意を報告した。マルタン氏は非常に喜んだが、三社であってもコストが合わなければ発注できないと釘を刺すのを忘れなかった。 ..