記事「ヤタガラス」 の 検索結果 50 件
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高良と竹内宿禰 5 神々の変遷(承前) この「玉」という言葉は容易に「魂」を連想させますが、記紀神話でもお馴染みの神々の名前にも「玉」や「魂」は頻繁に現れます。例えば欽明朝に「田令(たつかい)」として、備前国児島に赴任したとさ..
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蘇我と葛城 5 因果は巡る(承前) 古事記によれば、崇神天皇の「御世」に「役病多に起こりて、人民死にて尽き」ようとする事態が生じました。愁い嘆く帝の夢に顕れた大物主大神は『是は私の御心である。故、意富多多泥古を以ちて、私の..
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蘇我と葛城 2 婚姻で閨閥作り(承前) さて、出雲神話の世界ではオオクニヌシに協力し国造りに励んだはずの少彦名命が、アマテラス直系の神武帝の「東征」に際して一転、旧ヤマト勢力を見限り、自ら「八咫烏(ヤタガラス)」となって進軍を..
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人麻呂とワニ 5 葛城の鴨山(承前) 山城国風土記(逸文)は「賀茂社」について、次のように記述しています。(括弧内は筆者が加えた解説文で、風土記の本文ではありません。) 山城の国の風土記に曰く、加茂の社。加茂と云うは、..
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少彦名命と淡路島 3 弓の名手(承前) 地図を見れば一目瞭然ですが、紀伊半島の直ぐ西側に瀬戸内海を斜交して浮かぶ淡路島は、直線距離にして4キロメートル弱しか離れていない、本州の明石から指呼の位置にあり、紀淡海峡を10キロメート..
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少彦名命と淡路島 2 天孫族の武器庫?(承前) 天孫族の有力な一員である少彦名神にとって、兄弟のオオクニヌシとの共同作業よりも優先順位の高い事柄があるとすれば、それはアマテラスを頂点とした宗家に関わるものではなかったでしょうか?記紀神..
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少彦名命と大和朝廷 2(承前) JR北陸本線の坂田駅から西におよそ二㎞ほど離れた琵琶湖北東岸に朝妻神社(米原市朝妻筑摩)が鎮座しています。その一帯は古代人によって朝妻湊が整備され、琵琶湖の水運を最大限に利用した日本海側..
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香久山と少彦名命 4 八咫烏の正体(承前) 日本書紀によれば、塩土老翁の話を伝え聞き、その「天磐船」で天降った者の名前がニギハヤヒである事を知っていました。神武天皇たちは当時九州の地に居たのですから、誰かが教えたと考えるのが自然で..
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香久山と少彦名命 3 ヤタガラス(承前) 忍坂の頁で、天津彦根命・少彦名命親子の薬神としての性格について言及してきましたが、少彦名命は三輪神と同様「酒神」としての一面も有しています。「石立たす」は難解な言葉ですが「大きな磐座の様..
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出雲と紀州熊野 3 田部と弁慶(承前) さて、紀の国は「金=鉄や銅」の神々を崇めてきた訳ですが、実は、その大元の祖先とも云える天津彦根命はアマテラスとスサノオが「自分には元々から黒(きたな)い心が無い」事を証明するために行った..
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神像のルーツはインドか桜井市にある等彌神社の「神像」については既に紹介済みだが、果たして、この江戸時代に発見されたと云う「像」は、何者なのか。古代神話に登場するヤタガラスを表わしたもの、だとする説もあるのだが、何ん..
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神像のモデルは宇宙人?奈良県桜井市に等彌神社がある。「とみ」と読ませるのだが、その社務所に飾ってあった神像が、何気に可愛らしい。 なんでも社伝によると、 江戸時代の元文元年(1736)に下津尾社の敷地内にある 松..
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