記事「ヨセミテ太平洋会議」 の 検索結果 13 件
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石橋湛山の世界開放主義その後4『日本経済年報』第28輯の第8章「佐藤外交と対支経済使節」の最後の部分、これをプリントアウトしたものを、すぐに使えるように文字起こしまでしていたのに、その重要性に気づいていませんでした。 経済使..
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石橋湛山の世界開放主義その後21933バンフ太平洋会議→1936ヨセミテ太平洋会議・世界開放主義→1937国際連盟原料品問題調査会 この流れを追うのに、実は、多くの文献をパッチワーク的につなぎ合わせて用いていますので、何かの..
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猪間驥一の地方財政研究⑦A.猪間驥一「地方財税制改革案要綱の数字的検討」 (『都市問題』1936年11月号・「地方財税制改革案の検討」特集) B.猪間驥一「地方税制改革案の意味と影響」 (『東洋経済新報』1936年..
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いくつかの新しい情報3このままだらだら書き続けて行くと、収拾がつかなくなりそうですので、以下、①石橋湛山+上田貞次郎の自由通商に関する情報と、②石橋湛山+猪間驥一の地方財政問題に関する情報だけまとめます。 ①は、19..
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いくつかの新しい情報1先日、久しぶりに一橋大学の図書館へ行きました。私が現在、少しずつ読んでいる復刻版の『東洋経済新報』には、1938年分までしか収録されていないことがわかったからです。 今回ざっと見たのは、今まで見..
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十五年戦争史観批判メモ3この記事を書き始めたとき、十五年戦争史観の誤りを指摘するには、石橋湛山の以下の評論が、上田貞次郎グループの人口問題研究、あるいは上田のバンフ太平洋会議(1933年)・ヨセミテ太平洋会議(1936年)..
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高橋亀吉の経済評論50年北山冨久二郎について、もう少し書くべきことがあったのですが、現在、読んでいる高橋亀吉の『経済評論五十年』は、北山について議論する際にも重要な情報をもたらすものなので、こちらを優先させます。 亀吉..
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北山冨久二郎の台北時代5『西園寺公一回顧録「過ぎ去りし、昭和」』(1991年、朝日新聞社)を読んで、前述の尾崎秀実がスパイ事件(ゾルゲ事件)で逮捕されたというニュースが届く場面とともに興味深かったのが、処刑された尾崎のお通..
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北山冨久二郎の台北時代2北山冨久二郎について書き忘れていたことがありました。尾崎秀実・牛場友彦との交友関係に関するものです。「絶学無憂」には次のようにあります。 東大経済学部に転じたのは手話17年4月である。前年も講義..
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高橋亀吉の朝鮮との関わり◎この記事には誤りがありました!(2013.7.26) 近代デジタルライブラリーに収録された高橋亀吉の文献から、1935年初頭の朝鮮視察旅行以降、1937年7月7日、日中戦争開始前後のまでのもの..
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高橋亀吉の朝鮮経済論2山本有造の『日本植民地経済史研究』を先に読まねばと、横に並べておいたのですが、高橋亀吉の『現代朝鮮経済論』(1935年)にどんどん引き込まれて、けっきょく読み終えたのは、こちらのほうでした。 やはり..
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上田貞次郎の日記から9ヨセミテ太平洋会議後の上田貞次郎と背広ゼミナールの同人たち。上田は、この時点でも、日本の「貿易立国」を諦めていなかったようです。 1936年 九月・十月 九月末帰朝後、(・・・・・・)毎火曜日の..
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