記事「ワシントン海軍軍縮会議」 の 検索結果 6 件
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幣原喜重郎の「経済外交」9高橋是清の幣原喜重郎との接点を調べるために、幣原平和財団編『幣原喜重郎』(1955年)を斜め読みしていたら、ワシントン海軍軍縮会議前後の日本の社会情勢・思潮が分析されているのが目に留まりました。非常に..
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小日本主義者としての是清2高橋是清の、幣原喜重郎への信頼は、ワシントン海軍軍縮会議(1921年11月‐1922年2月)の時分にすでに生まれていたもののようです。このときの日本全権は、加藤友三郎、幣原喜重郎(このとき駐米大使)、..
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幣原喜重郎の「経済外交」7「日本の率直なる公式声明」③ 山東について 日本は、山東を支那から剥ぎとったという非難を受けている。この真相はどうなのか。 大戦中、日本は極東に於ける連合国の利益を守る義務を負うたので、青島に於..
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幣原喜重郎の「経済外交」5幣原喜重郎は、ワシントン海軍軍縮会議開始に際して、『ニューヨーク・タイムス』の月刊誌『カレント・ヒストリイ』(1921年12月号)への寄稿を行っています。「日本の率直なる公式声明」と題するもので、日本..
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大正リベラリズム2つの潮流大学院紀要の原稿には一部をすでに用いているのですが、大正リベラリズム運動の2つの潮流について整理しておきます。 1915年、対支21ヵ条の要求という武力的大陸政策が取られた後の日本の外交について、猪..
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小日本主義と日本の近代史月曜日の朝、ようやく紀要のための原稿を書き上げました。最終段階になって、新しい資料が出てきたりして(といっても、自分にとって新しいだけですが)、予定していたよりだいぶ手間取りました。 しかも、その後..
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