記事「上田貞次郎」 の 検索結果 106 件
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指導教官が求めたこと②【2012年11月14日】 最初に提出した博論に対するコメント。とりあえずそのまま掲載します。 *初稿に対するコメントとリライト要求の方針案 1.従来の日本近代政治経済史研究、ならびに日本近代..
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石橋湛山と上田貞次郎の接近10月末、博論を提出したにはしたのですが、不備な点があって、ここ何日間か、落ち込んでいます。けっきょくのところ猪間の再評価を遅らせているのが自分なのではないかという気がしてきて、情けなくなります。でも..
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猪間驥一と日本統計学会1「社会統計学・論文ARCHIVES(人生という森の探索)」というサイトで、森田優三『統計遍歴私記』(日本評論社、1980年)が紹介されており、そこに猪間驥一の名前が出ていたので、さっそく読んでみまし..
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石橋湛山の世界開放主義その後4『日本経済年報』第28輯の第8章「佐藤外交と対支経済使節」の最後の部分、これをプリントアウトしたものを、すぐに使えるように文字起こしまでしていたのに、その重要性に気づいていませんでした。 経済使..
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石橋湛山の世界開放主義その後3「オッタワ協定の終期と英帝国貿易:世界通商自由回復の気運台頭」という論説があって、何とこれが『東洋経済新報』誌上に発表されるのが、1937年7月3日、つまり日中戦争開始のわずか4日前なのです。 ..
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猪間驥一と森戸事件の真実④森戸事件について、猪間が触れているのは、1952年に『統計』に書いた次の一節があるのみです(1957年、『人生の渡し場』に収録)。しかも、これは、河合栄治郎が東大に赴任することになった経緯を説明する..
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猪間驥一の写真を見たい方へ近代デジタルライブラリーで、『日本統計学会年報』を検索すると、日本統計学会の設立総会から第4回総会までの記念写真を見ることができます。猪間驥一(いのまきいち)の活躍ぶりも垣間見ることができます。他に..
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「経済倶楽部だより」より②「経済倶楽部だより」(『東洋経済新報』1933年10月7日号) ◇9月29日定例午餐会、当日の講演者は明大教授中瀬勝太郎君、演題は『江戸時代の会計組織と勘定奉行』、徳川の治世が三百年も続いた重要な原..
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猪間驥一の地方財政研究⑦A.猪間驥一「地方財税制改革案要綱の数字的検討」 (『都市問題』1936年11月号・「地方財税制改革案の検討」特集) B.猪間驥一「地方税制改革案の意味と影響」 (『東洋経済新報』1936年..
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藤田武夫の謎めいた経歴3ここでは、1935年9月に藤田武夫が発表した、「人口別に見たる我国都市財政の不均衡」(『都市問題』第21巻第3号)を取上げます。 まず冒頭部分から。 昭和七年の内務省の地方財政調整交付金案を..
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石橋湛山と自由通商協会石橋湛山と自由通商協会の関係を確認するために『上田貞次郎日記』を参照して驚いたのは、1936年2月26日の二・二六事件の翌日、二人が同じ場所にいて、この事件についての議論の輪に加わっていたことです。..
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上田も農村工業協会に参加!本日、調べものをするために一橋大学の図書館へ行ったのですが、復刻版の『一橋新聞』を読んでいて面白い記事を見つけました。 救済策を掲げ 農村工業協会生る 上田(貞)教授も参加 農村問題が熾辣..
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