記事「中論」 の 検索結果 16 件
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インド思想からの「零」の発生数学において零、0、ゼロの重要性は尽きぬものがある。とくに基本的な事実としては、記数法におけるゼロの役割は本質的だ。十進法であろうが二進法であろうがゼロがなければ、数の意味がなくなる。 実際のところ..
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【雑考】 人間は自殺することができない。
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二つの真理依存性(縁起)をわれわれは空性であるというのである。その空性は仮の名づけであり、それは中道と同じことである。依存しないで生じたものなぞ何もないのであるから、空でないものなぞ何もない。(「中論」24-1..
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本体の論理と現象の論理四句否定(厳密に一致はしないが、便宜的にテトラレンマと呼ぶ学者もいる)はナーガールジュナの創見ではなくて、すでに初期経典にも見られたもので、彼はその伝統を受け継いだだけです。たとえばナーガールジュナの..
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ことばと対象の関係の否定ナーガールジュナが二つのものの関係を最終的には二つの対立概念の相互依存性に還元したのは、それぞれの概念が自立的に存在する本体をもたない、ということを知らせるためです。本体とは、固定した意味をもった概念..
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主体と客体の関係の否定ナーガールジュナは、生・住・滅という三相にさらに二次的、三次的などの三相があるならば、その関係は無限に続いてとどまることを知らない、と批判しています。これは生にまた生・住・滅の三相があり、その第二の生..
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主体とその作用の否定第三章はふつう「眼などの感官の考察」と名づけられている章で、眼・耳・鼻・舌・身(皮膚)・意の六種の器官による認識と、色形・音声・香・味・可触物・考えられるもの、という六種の対象を批判するものである。 ..
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運動と変化の否定過ぎ去られつつある所にどうして過ぎ去る運動がありえようか。過ぎ去ることのない過ぎ去られつつある所などは考えられはしないのに。(「中論」2-3) 過ぎ去られつつある所に過ぎ行く運動があると考える人..
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原因と結果の否定あるものが他のものによって生ずるとき、前者は後者と同一でないし、また異なるものでもない。だから断絶しているのでも恒常なのでもない。(「中論」18-10) 原因と結果とが同一であることはけっしてあ..
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本体の否定「中論」第十五章の冒頭でナーガールジュナはこういっています。 本体が多くの原因や条件によって生ずるということはできない。原因や条件から生じた本体は作られたものとなってしまおう(「中論」15-1)..
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縁起について滅しもせず、生じもせず、断絶もせず、恒常でもなく、単一でもなく、複数でもなく、来たりもせず、去りもしない依存性(縁起)は、ことばの虚構を超越し、至福なるものであるとブッダは説いた。その説法者の中の最上..
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ナーガールジュナの思想最高の真実 ナーガールジュナの主著「中論」は、一言でいえば「般若経」の神秘家が見いだした最高の真実の上に立って、区別の哲学を批判する書物です。まずはナーガールジュナの基本的立場を理解するために、..
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