記事「人口論争」 の 検索結果 7 件
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人口・植民地問題研究要点2前回記事の1920年代の部分を、もう少しわかりやすくまとめて(図式化して)みます。 1920年代というのは、深刻な不況で人々の生活は困窮し、巷には職を求める失業者があふれるような時代であり、19..
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猪間驥一再評価をめぐって2追記: 『都市問題』に投稿するための原稿を書きながら、気づいたことがあります。 それは、小田橋貞壽による二つの論文、『日本人口問題研究』第1輯の「日本人口問題文献」(1933年)と『上田貞次郎全集..
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猪間驥一再評価をめぐって1『都市問題』100号記念企画として、東京市政調査会の戦前の調査研究を再評価する、新藤宗幸・松本克夫編「雑誌『都市問題』にみる都市問題」(岩波書店,2010年)が出版されたこと、そのなかで、五石敬路さん..
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上田グループと人口論争上田貞次郎が人口論争について、「数年前河上、高田両博士の論争は有名であったが、惜しむらくは問題の取扱方が純理論に終始し、内外の世論が問題とするところの現実の日本人問題に触るるに至らなかった」(『日本人..
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高田保馬「産めよ殖えよ」1926年「産めよ殖えよ」(『経済往来』)を書いた高田保馬は、日本の人口が増えても問題ないといっているのであって、「産めよ殖やせよ」のような政策を実施せよといっているわけではないこと。そのことを示すに..
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『都市問題』の猪間再評価ひと月以上かかって、ようやく新しいパソコンが入りました。大学のパソコンを使って何とかなるような気がしていたのですが、やっぱりものを書くのには自宅にないと不自由ですね。 さっそく2,3週間のうちに書か..
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猪間驥一という人⑩大学に残ることに執着のなかった猪間驥一は、人口論争が始まる少し前の1925年、東京市政調査会の研究員となり、精力的に調査研究活動を開始します。 彼が主として扱ったテーマが、乳児死亡率であり、その原因..
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