記事「人口食糧問題」 の 検索結果 11 件
-
政友会内閣の関税引上政策上田貞次郎が、昭和恐慌前後の政党や内閣をどのように見ていたか、これまでも何度か確認しようとしましたが、「我国現下の失業と人口問題」(1932年11月)にそのあたりのことがよくわかる記述があったので、こ..
-
人口食糧問題調査会11人口食糧問題調査会のシリーズ、とくに廣嶋清志の論文に触れるのは、これで終わりにします。 というのは、上田貞次郎の編集による『人口問題研究』第一~第三輯が三冊とも、今、目の前に並んでいるのですが(すべ..
-
人口食糧問題調査会10「人口統制に関する諸方策」については、1928年7月~1929年1月の半年間に人口部特別委員会が3回、小委員会が4回開かれ、答申案A~F6案が討議されたといいます。 永井亨による人口統制A案: 「..
-
人口食糧問題調査会9人口食糧問題調査会の人口部特別委員会における、永井潜、永井亨、福田徳三による答申案6案の討議の詳細について述べている研究に、廣嶋清志の「現代人口政策史小論(1)―人口資質概念をめぐって(1916~19..
-
人口食糧問題調査会8「人口問題解決の常設機関設置/適切なる方策を樹立する/委員の顔ぶれ決定」(大阪時事新報 1932.11.22) 人口食糧問題調査会は、1932年、内務省の社会局内に人口問題研究会が設置されたのに伴い..
-
人口食糧問題調査会71929年になって、永井亨、永井潜、福田徳三の3小委員作成による「人口統制に関する諸方策」答申案が出されます。次の大阪時事新報の記事から、この準備が、28年終わり頃よりなされていたことが推察されます。..
-
人口食糧問題調査会6こうした調査会の意向を、当時のジャーナリズムがどのように受け止めていたか、新聞報道を要約すると以下のようになるかと思います。 ◆「産児制限を社会局で食糧調査会で審議す/この頃流行のものだけに国として..
-
人口食糧問題調査会59月になると、「合法的な産児制限など/人口食糧調査会幹事会の問題となる」(1927年9月13日付『神戸新聞』)というタイトルが示すように、「職務の需要調節による失業者防止、国内及国外の移住奨励、拓殖会..
-
人口食糧問題調査会4産児制限に賛成の立場から(「人口調節論」1927年8月21日付大阪毎日新聞)。 「鳩山内閣書記官長の如きは、人口食糧問題解決の一方法として産児調節を主張し、既に過日の次官会議の席上でも論議したと伝え..
-
人口食糧問題調査会3産児制限に反対の立場から(「産児制限の調査/悪影響を及ぼすを懼る」1927年8月9日付中外商業新報)。 かなり感情論に走っているきらいがありますが、要約すると以下のようになるかと思います。 産児制..
-
人口食糧問題調査会21927年7月7日、人口食糧問題調査会の官制と委員が発表されます(7月8日付大阪時事新報)。 内閣書記官長の鳩山一郎を幹事長として、委員46名の中には、東京商科大学教授の福田徳三、貴族院議員の新渡戸..
- 前へ
- 次へ