記事「伝習隊」 の 検索結果 34 件
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飯塚~鹿沼にて、壬生の使者同じ事柄でも、書く人により印象が異なる。 というのを如実に表すのが、壬生の使者や栃木における、大鳥圭介と浅田麟之輔の描写です。 慶応4年4月11日の脱走後、報恩寺、竪川を経て市川参集後、前..
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母成峠、檜原西会津の流離 その2母成峠後、米沢以降の大鳥と伝習隊。続きです。 大鳥ルートは、米沢→綱木→檜原→大塩→塩川→慶徳→木曾→陣ケ峰・泥浮峠→長窪→小田村・塩川→大塩→檜原→秋元原→土湯村→鳥渡村→福島→桑折→白石→仙..
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母成峠、檜原西会津の流離 その1母成峠の戦い以降。大鳥と伝習隊が、会津を見捨てたとか、無邪気に榎本艦隊に合流したとか、特に新選組を題材にしたメディアが絡む度に、何かと誤解が広められているように思います 資料からから..
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「死生の境」その1[1] 入潮 2005/10/01(Sat)-21:31 (No.81) 文書館の話も全然終わってないのですが。いや、あそこの濃さは、いちいち突っ込んでいると、終わらせることなんて端からできませ..
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伝習隊の軍装とシャスポー銃アンソロにかまけて絵を描こうとしたりしたのですが。 絵に起してみると、細かい疑問点が山ほど出てきます。 文章表現は細かい点はごまかせるから、その点は楽であるということがよくわかりました。 絵描き..
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アジ歴に見る伝習隊士官アジア歴史史料センター。 またかなり、データベースの史料を追加してくださっていました。閲覧可能になっているものも多い。 大鳥圭介関係では、工部省時代の陸軍省・海軍省とのやり取りが結構追加さ..
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板室・三斗小屋記その2 板室の戦い先週は、筋肉痛と足裏の水ぶくれに苛まれ、ヨタヨタしていました。下り階段が辛かった。手足や首の生傷に汗が染みてひりひりしたり、虻に噛まれた後が痛痒かったり。久しぶりに満身創痍な感じでした。翌週定刻通りに..
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市川行軍 その1歩いてきました。 先週、座ってきました、ということの続き、ではないのですが。 法恩寺→竪川→市川→弘法寺 伝習隊の面々と合流してからの、南柯紀行の江戸脱走ルート1・2日目です。 (..
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仏蘭西伝習同窓会明治9年1月22日の郵便報知の記事。 「大鳥圭介、藤沢次鎌の両君が発意にて、昨二十一日を始とし、月々一会ずつ旧横浜仏蘭西陸軍伝習の人々を、墨(ママ)田川八百末楼にて会合する事を催されて、会者..
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北戦日誌草稿 柿沢の啖呵色々止まっております。申し訳ないです。 明日から現場に戻ります。 途中帰国してから、部内の管理と他の案件の補助作業と研修生の相手などに明け暮れてまして。自分のプロジェクトの作業が全く進んでいな..
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故陸軍中尉瀧川具綏君墓碑文推敲文「故陸軍中尉瀧川具綏君墓」 西南戦争で戦死した瀧川具綏陸軍中尉の墓碑銘を推敲した草稿。大鳥別荘の由来と思しき文書群に含まれている。中央に「櫻水舎」の印字のある四百字詰め原稿用紙1枚。語のつけたし..
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多聞櫓文書国立公文書館へ行ってきました。 いつも通勤路で横目にしながら、開館時間が9時15分~11時45分、13時~4時半までと、普通に社会人生活を送っているとまず押しかけるのが不可能な時間帯で、今まで行..
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