記事「八甲田山」 の 検索結果 171 件
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東北ツーリング(6日目③)〔10月12日の続き〕 八甲田山のワインディングをどんどん走る。 高度が上がるにしたがって赤い紅葉、黄色い紅葉が目立ちはじめ、気持ちも高揚します。 ・・・紅葉なだけに・・・。 ・・・え、え..
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東北ツーリング(6日目②)〔10月12日の続き〕 奥入瀬渓流は、思ったより拓けていて大きな道がすぐ横を走っていました。 最初は歩きで散策することを考えてましたが、バイクでポイントをまわることに。 ワイルドにトレッキングす..
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《八甲田山雪中遭難事件》あの210名中199名が死亡したという陸軍第8師団青森歩兵第5連隊の雪中遭難事件である。こういうものを見ると、この行軍訓練を計画し、実行した人々の中にクマ狩りをする猟師が一人でもいれば、だ..
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《八甲田山雪中行軍遭難事件》あの210名中199名が死亡したという陸軍第8師団青森歩兵第5連隊の雪中遭難事件である。こういうものを見ると、この行軍訓練を計画し、実行した人々の中にクマ狩りをする猟師が一人でもいれば、だれ..
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十和田湖秋田県と青森県にまたがる美しい湖で、十和田八幡平国立公園の中にある日本を代表する観光地。十和田火山の噴火で形成された二重カルデラ湖で、現在も活火山に指定されています。和井内貞行のヒメマス放流の話でも有..
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弘前病院前身は明治30年に設立された弘前衛戍病院。弘前病院の広報誌72号によると、八甲田山雪中行軍で遭難し救助された山口少佐が運び込まれたのは、この病院だそうです。
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第八師団司令部跡第八師団は旧日本帝国陸軍の師団の一つで、弘前に司令部がありました。日露戦争に備えての雪中訓練を実施して遭難したのが八甲田山雪中行軍。司令部の跡地は現在、弘前大学農学生命科学部になっています。
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弘前歩兵第31連隊営門跡八甲田山雪中行軍に参加したのは弘前歩兵第31連隊と青森歩兵第5連隊。 弘前歩兵第31連隊は、明治35年(1902年)1月20日にこの営門を出発し、 11泊12日の行程で37名が雪の八甲田山の踏破に成功..
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平沢第1露営地青森歩兵第5連隊が駐屯地を出発したのが、明治35年(1902年)1月23日。当初の予定では1泊2日の行軍で、この日の宿泊予定地は田代温泉。しかし、悪化した天候のために行軍は難航し、やむなくこの地で露営..
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鳴沢第2露営地八甲田山雪中行軍に挑んだ青森歩兵第5連隊の2日目の露営地。第1露営地からは直線にして僅か700m移動しただけの位置で、食料も凍結していて食べられず、ここで多くの将兵が凍死したとのことです。
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後藤伍長像後藤房之助は宮城県出身で青森第5連隊の伍長として雪中行軍に参加。遭難4日目の1月27日午前10時頃、仮死状態で発見されました。この像は全国からの将校の寄付により制作されたものとのことです。
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中の森第3露営地跡青森歩兵第5連隊が駐屯地を出発したのが、明治35年(1902年)1月23日午前6時55分。八甲田山に入って3日目の1月25日の露営地がこの付近。この時すでに、死者・行方不明者合わせて70名以上になって..