記事「北山冨久二郎」 の 検索結果 11 件
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土方成美ゼミ生たちの受難前回同様、土方成美『事件は遠くなりにけり』(経済往来社、1965年)からの引用です。土方ゼミとはいっても、厳密にはゼミ生ではなく、ゼミに出入りしていた北山冨久二郎の話が中心になります(引用文中にもあ..
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高橋亀吉と北山冨久二郎今回の記事のタイトルですが、「高橋亀吉の経済評論50年3」とするか「北山冨久二郎の台北時代6」とするか考えた末、上記のものとすることにしました。 両者の関係を時系列的に記すと以下のようになるかと..
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高橋亀吉の経済評論50年北山冨久二郎について、もう少し書くべきことがあったのですが、現在、読んでいる高橋亀吉の『経済評論五十年』は、北山について議論する際にも重要な情報をもたらすものなので、こちらを優先させます。 亀吉..
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北山冨久二郎の台北時代5『西園寺公一回顧録「過ぎ去りし、昭和」』(1991年、朝日新聞社)を読んで、前述の尾崎秀実がスパイ事件(ゾルゲ事件)で逮捕されたというニュースが届く場面とともに興味深かったのが、処刑された尾崎のお通..
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北山冨久二郎の台北時代4高橋亀吉は『経済評論五十年』(1963年)に次のように書いています。 近衛公の有力な側近である後藤隆之助君が、近衛の他日の総理大臣準備のため政策研究会を持ったのは、この前後のことであったと思う。..
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北山冨久二郎の台北時代3初めに確認しておきたいことがあります。 前回記事で、尾崎秀実(1901-1944)、牛場友彦(1901- 1993)、北山冨久二郎(1901-1984)が一高時代の同級生(1919年入学)であり..
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北山冨久二郎の台北時代2北山冨久二郎について書き忘れていたことがありました。尾崎秀実・牛場友彦との交友関係に関するものです。「絶学無憂」には次のようにあります。 東大経済学部に転じたのは手話17年4月である。前年も講義..
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北山冨久二郎の台北時代『日本人の海外活動に関する歴史的調査』総論の「序」には、その編纂に関わった編集委員、猪間驥一、鈴木武雄、北山冨久二郎、金子滋男の4名の署名があります。 このうち猪間驥一に関しては、背後に大蔵大臣..
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人名録の中の猪間驥一猪間驥一について最初の情報を得た「人名録」が、それを見た図書館も分っていて何度か調べにもいったのですが、どうしても見つけられずにいました。国会図書館でも年代的な見当をつけて(猪間が中央大学教授になっ..
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鈴木武雄の二股について前回記事の、鈴木武雄が二股をかけていたことについて、あるいはそのキャラクターについて、少し補足しておきたいと思います。とはいっても、すでに述べていることを整理するだけです。 ①東京帝国大学経済学部大..
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猪間驥一の何がすごいのか3●猪間驥一の関わった人々(戦後1950年代まで) 【大蔵省・在外財産調査会】 石橋湛山:在外財産調査会設立時、第一次吉田内閣の大蔵大臣。編纂の途中で公職追放になる。なお猪間は、1950年、東洋経済..
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