記事「句碑」 の 検索結果 29 件
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清水宗治辞世の句清水宗治は水上に舟を漕ぎ出し、ひとさし舞ったのち潔く切腹して果てました。 浮世をば 今こそ渡れ 武士の名を高松の 苔に残して その作法は見事で、秀吉も「宗治は武士の鑑であった」と絶賛したとい..
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正岡子規句碑(ヴェルニー公園)横須賀港を望むヴェルニー公園に立つ、俳人正岡子規の句碑。 横須賀や 只帆檣の 冬木立 子規は明治21年8月、汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉で遊んだそうです。
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芭蕉句碑(金色堂)中尊寺金色堂の傍に、松尾芭蕉が詠んだ句の碑が建てられています。 「五月雨の 降り残してや 光堂」 500年経っても光堂は色あせずに美しいままだ、と詠んだものだそうです。
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那須乙郎句碑高瀬川一之舟入跡にある、京都俳句作家協会を創立した那須乙郎の句碑。 舟入の 灯影に明くる 春の雪 京都市文化功労者賞受賞記念として建てられたとのことです。
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芭蕉句碑(不破の関)岐阜県不破郡関ケ原町にある、不破関跡に建つ松尾芭蕉の句碑。 「 秋風や藪も畠も不破の関 」 芭蕉が伊賀上野への旅を記した、「野ざらし紀行」の中の一句だそうです。
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芭蕉句碑(青墓)松尾芭蕉が、円興寺の源朝長公の墓にお参りした時に作った句。 苔埋む 蔦のうつつの 念仏哉 元円興寺の仁王門推定地のすぐ近くに、碑が建てられています。
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芭蕉句碑(川崎)京浜急行八丁畷駅のすぐ近くに建立されている、松尾芭蕉の句碑。 「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」 川崎宿まで見送りにきた門人たちと最後の別れを交した時に詠んだ句です。
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芭蕉句碑(日本橋)松尾芭蕉の江戸住まいの最初の地が、小田原町(現日本橋室町)と言われ、 「 発句也 松尾桃青 宿の春 」 の句碑が、中央区日本橋室町一丁目、老舗の佃煮屋の店先に建っています。
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芭蕉句碑(高館)源義経自害の地と伝えられる高館に建つ、芭蕉の句碑。 「 夏草や兵どもが夢の跡 」 平泉の栄華や義経に思いを馳せ、芭蕉がこの地で詠んだと云われています。
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北条秀司句碑東京都中央区佃1丁目、隅田川の東岸にある、劇作家・北条秀司の句碑。 「雪ふれば 佃は古き 江戸の島」 北条秀司は芝居「佃の渡し」を作り、それに因んで建てられた句碑のようです。
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さみだれ塚寛延3年(1750年)、芭蕉の友人である山口素堂の弟子・馬光らが、 「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」 の芭蕉の短冊 を埋めて墓としたもので、関東に7つある芭蕉の墓の1つとのことです。..
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芭蕉句碑(関口芭蕉庵)東京都文京区の関口芭蕉庵にある、俳聖松尾芭蕉の句碑。 古池や 蛙飛こむ 水のをと 芭蕉翁280回忌に建てられたもので、文字は真筆とのことです。
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