記事「在外財産調査会」 の 検索結果 7 件
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内海丁三、石橋湛山との日々(追記)『大蔵省百年史』別巻を調べたら、櫛田光男の名前が出ていました。それによると、 1946年2月2日、大蔵省に理財局が再置され(1945年5月19日に廃止されていた)、櫛田光男が局長に就任する。 1..
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北山冨久二郎の台北時代4高橋亀吉は『経済評論五十年』(1963年)に次のように書いています。 近衛公の有力な側近である後藤隆之助君が、近衛の他日の総理大臣準備のため政策研究会を持ったのは、この前後のことであったと思う。..
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鈴木武雄の二股について前回記事の、鈴木武雄が二股をかけていたことについて、あるいはそのキャラクターについて、少し補足しておきたいと思います。とはいっても、すでに述べていることを整理するだけです。 ①東京帝国大学経済学部大..
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猪間驥一研究計画書4第二部(終戦直後編) 『日本人の海外活動に関する歴史的調査』成立の過程 第二部では、『日本人の海外活動に関する歴史的調査』が議論される。 第2次世界大戦開始後の1942年、猪間は満州商工会議所..
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猪間驥一からのメッセージ猪間驥一やその周辺にあった経済学者を調べているからでしょうか。このたびの大震災のことを考えていると、無意識のうちに、猪間の時代の、関東大震災、昭和恐慌、敗戦と比べている自分がいることを発見します。そし..
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鈴木武雄、謎の氷解6他方、鈴木武雄の石橋湛山との関係は、高橋亀吉とのそれに較べると、さほど親密ではなかったように思われます(ちなみに、『石橋湛山日記』に鈴木の名前は出てこない)。 1946年5月、湛山が第1次吉田内閣の..
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鈴木武雄、謎の氷解5終戦直後の鈴木武雄の足取りを追います。 1945年11月、引揚げ。高橋亀吉が住まいの提供を申し出る。日本経済研究所にも誘う。 1946年5月、岩波書店の『世界』に「朝鮮統治への反省」を発表する。石..
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