記事「大脳皮質基底核変性症」 の 検索結果 20 件
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大脳皮質基底核変性症という指定難病こんにちは! 認知症サポーターの介護回顧録です。 あなたは大脳皮質基底核変性症ってご存知ですか? 父がこの病気だと診断されるまでは知りませんでした。 最初は左手に震えが出て、病院へ行く..
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家族の介護回顧録~認知症と指定難病~こんにちは! 認知症サポーター介護回顧録です。 数あるブログの中から 『家族の介護回顧録~認知症と指定難病~』へ来ていただいてありがとうございます。 このブログを見て頂いているということは..
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pitanさんへの返信はじめまして。コメントありがとうございます。 私信なのでコメント欄に書こうと思いましたが、 記事にしたほうが見やすいと思い、ここに書かせてもらいます。 さぞつらい毎日をお..
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僕が歩んだ介護の路その23病院での拘束時間は19:30まで。 ゴミの量にもよって終了時間は変わったが、出来る限りその時間に終わらせるようにした。 一人業務だったので、助けくれる人はいない。だから必死だった。 ..
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僕が歩んだ介護の路その22自分の要領が悪いせいなのか、病院でのゴミ収集業務は勤務時間内に 終わらせることは困難だった。朝も30分早めに来て作業を始め、 昼休みも30分程度に済ませ、定時に終わらせることで必死だった。..
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僕が歩んだ介護の路その19訓練校での生活もだいぶ慣れてきた。 個性的かつアクの強い訓練生や講師に揉まれながらも、という条件が付くがw ただ、慣れてきたといっても、集中できないことが多々あった。 言わずもがな、..
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僕が歩んだ介護の路その8風邪をひいて3、4日寝込むと、体力がガクンと落ちる。 (駅の階段を登り切ると、激しく息が上がったり) 動けるようになれば、気力・体力は徐々に回復するだろうが、 動けない身体になった場..
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僕が歩んだ介護の路その7「3月末で廃業します」 そう社長から言われても、それほど驚きはしなかった。 10年以上前から覚悟していたから。 社長から提示されたことは、 ・業務は3月末日まで継続..
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僕が歩んだ介護の路その6母はリハビリに励んでいた。 歩行器(シルバーカー)を押して近所の散歩。 朝5時から1時間ぐらい近所を歩いていた。 「なにもそんな朝早く行くことないのに」、と思ったが、 その姿を..
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僕が歩んだ介護の路その5新しくもらってきた薬は、「メマリー」と「サインバルタ」というもの。 “新開発された”という意味の新薬なのか、 “新しく試してみよう”という意味の新薬なのか分からない。 が、とにかく新..
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難病の父への声掛け大脳皮質基底核変性症で自分では何もできず、話すこともできない父への声掛け 母:おじいちゃん、おはよう! 父:・・・。 母:なんで黙ってんのん。 父:・・・。 母:早く起きや。 父:・・..
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僕が歩んだ介護の路その4自分ほど女性と縁遠い男はいないと胸を張って言える。 オリンピックで「モテない男」という競技があれば間違いなく代表選手。 (どんな競技だ?w) 当時勤めていた会社の近くに、..
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