記事「大鳥圭介」 の 検索結果 241 件
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箱館戦争(64)大鳥は後に外交官になった男だけに、どんな場合でも論理は明晰であった。 「君は」 と、歳三は云った。 「籠城説をとっている。籠城というのは援軍を待つためにやるものだ。我々はこの国のどこに味方..
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箱館戦争(63)一方、新政府軍の司令部では、すでに五稜郭の本営に対し降伏勧告の準備をしつつあり、正式な招降使を出す前に、五稜郭出入りの商人を通じてうわさ程度のものをしきりに流して城内の反応を打診しようとした。 ..
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箱館戦争(62)箱館政府の海軍は5月7日、全滅した。ために新政府軍艦隊は全艦、箱館港に入った。五稜郭本営では、海軍全滅の日、もっとも緊張した空気の中で軍議が開かれた。 「(降伏か、籠城かを)どうするか」 とい..
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箱館戦争(61)周りの将兵は、予想していた以上の敗色を、榎本の涙で悟った。さらに、帰営して驚いたのは、大鳥が率いていた幕府歩兵が数百人脱走してしまったことだ。 どうせ根は武士ではなく、江戸、大坂でかき集めてきた..
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箱館戦争(57)歳三の二股陣地に各地の敗報が続々届いていた。17日松前城が陥落、22日には、大鳥圭介が守る木古内陣地(箱館湾まで海岸線7里の地点)が陥ち、このため新政府軍艦隊は直接、箱館港を攻撃する態勢をとり始めた..
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箱館戦争(47)五稜郭へ戻った歳三は、榎本、松平、大鳥から戦況を聞いた。 「江差は落ちた」 大鳥が言った。無理はなかった。乙部に上陸した新政府軍は2000人で30人の守備隊は瞬く間につぶれた。 3里向こう..
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箱館戦争(48)早速、分散兵力の集中化が行われた。数日で完全集中化が終わり、歳三と大鳥は、それぞれ兵500名を引き連れて別路、進発した。 大鳥は木古内へ。 歳三は二股口へ。 その間、松前守備隊は、心形一刀..
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箱館戦争(21)函館港には旧幕軍の軍艦「回天」と「蟠龍」が入り込み、港と市街を制圧し、函館周辺の地を完全に占領した。拠点は五稜郭に決めた。旧幕府軍は、本格的な政権づくりを始めた。まず、政権の閣僚を選挙によって決めた..
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箱館戦争(12)大鳥、土方両軍はこれを各所で打ち破り、清水谷公考は青森へ逃走した。函館の占領が完了したのは、上陸後10日ばかりの11月1日である。 榎本軍は、函館府の内外に幕軍の旗である日章旗を立て、港内に入っ..
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箱館戦争(11)二手に分かれて箱館を攻撃するのである。本隊の司令官は大鳥圭介、別働隊の司令官は土方歳三。 歳三は望遠鏡で海岸を覗くと、人家があることに驚いた。140,50軒もあった。アイヌが穴の中に生活している..
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箱館戦争(10)榎本艦隊の北上は続く。慶応4年10月13日、薪と水を補給するため、南部藩領宮古湾に入った。 南部藩は艦隊の威力を畏れ、要求通りの物資を差し出した。榎本は石炭が欲しかったが、奥州ではそれを望めず、..
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箱館戦争(8)新選組副長だった土方は、鶴ヶ城開城後は隊士や幕臣らを率いて仙台に走った。2千名の兵士を仙台城下の宿所に駐留させ、青葉城での藩論決定に武力を背景にせまった。 一方、品川沖を脱走し、北上していた榎本..