記事「妊産婦保護事業」 の 検索結果 28 件
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「妊産婦保護事業」の写真1920年代の都市における妊産婦保護事業関連の写真(またはイラスト)をどう入手するか、これは猪間驥一研究をはなれても必要とされる方があるだろうと思い、リストアップの作業をしていたところ、何と猪間が執筆..
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東京市政調査会からの手紙2せっかくの機会なので、五石論文のなかの誤りのうち、私が重要と思っているものを2つだけ、ここに取り上げておきたいと思います(私の『都市問題』への投稿論文は、当初、五石論文批判として書き始められたものです..
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猪間驥一評伝抄・第4章①第4章「巡回産婆事業研究に取組む」 1.東京市政調査会の研究員となる ●1925年7月、猪間は東京市政調査会の研究員となる。これは東京帝大経済学部商業科の教授、渡辺鉄蔵(1885‐1980)の紹介..
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社会事業とは何だったのか2今回、大原社会問題研究所編『日本社会事業年鑑』第1冊‐第7冊を読んで一番の収穫は、猪間が『都市に於ける妊産婦保護事業に関する調査』等の著作論文で、乳児死亡率について誤解があるとして批判していた相手が誰..
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人口・植民地問題研究要点2前回記事の1920年代の部分を、もう少しわかりやすくまとめて(図式化して)みます。 1920年代というのは、深刻な不況で人々の生活は困窮し、巷には職を求める失業者があふれるような時代であり、19..
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猪間驥一再評価をめぐって1『都市問題』100号記念企画として、東京市政調査会の戦前の調査研究を再評価する、新藤宗幸・松本克夫編「雑誌『都市問題』にみる都市問題」(岩波書店,2010年)が出版されたこと、そのなかで、五石敬路さん..
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授賞式のスピーチ原稿一年前、河上肇賞奨励賞をいただいたときのスピーチ原稿が出てきました。このところ猪間驥一の評伝にかかりきりになっていましたが、私が本来やろうとしていたことはこういうことだったと改めて思いましたので、載せ..
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上田貞次郎とともに14「育てよ病ますな」という標語はどのように生まれたのか。 ここで、猪間の果たした役割の重要性について述べておきたいと思います。 小田橋貞壽によれば、上田が「日本の将来人口の予測」を試みたとき、つまり..
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上田貞次郎とともに10三浦かつみのことから、わき道にそれてしまいましたが、ここで確認しておきたかったのは以下の点です。 日本が、多産多死から少産少死の国へ向かいつつあるという認識においては、猪間も上田も見解の一致をみてい..
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上田貞次郎とともに9女子栄養大学「栄養と料理デジタルアーカイブス」の「人工栄養児に玄米粉を用ひて」(1943年3月)という記事に、三浦かつみが、賛育会病院乳児院主任の三浦女史として紹介されています。小島勝次という統計学者..
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上田貞次郎とともに8ここで上田は、三浦かつみの東京市賛育会病院における調査、「細民階級の乳幼児の多死に就ての一研究」(1931年4月、『都市問題』)を紹介します。 多産が多死をもたらし、また多死が多産をもたらすという傾..
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上田貞次郎とともに7上田のグループが3番目に取り組んだ課題が、「出生率・乳児死亡率」です。 上田は、『日本人口問題研究』第二輯に、「最近十四年間に於ける出生率及死亡率の低減」を書いていますが、その中で、国勢調査と動態統..
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