記事「妊産婦保護事業」 の 検索結果 28 件
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『現代日本小児保健史』「人口食糧問題調査会9」で触れた、廣嶋清志の論文で、保健衛生調査会の建議が、妊産婦保護事業ではなく乳幼児保護事業の開始に関するものになっている部分というのは、以下のところです。 「ともかく、保健衛生..
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人口食糧問題調査会9人口食糧問題調査会の人口部特別委員会における、永井潜、永井亨、福田徳三による答申案6案の討議の詳細について述べている研究に、廣嶋清志の「現代人口政策史小論(1)―人口資質概念をめぐって(1916~19..
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今後の検討課題近代デジタルライブラリーに大正年間の文献が増えてきているようで喜ばしいのですが、反面、自分の研究の未熟さを痛感させられることも多くなっています。 というわけで、いくつか出てきた今後の検討課題をメモし..
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ペッサリーの面倒さ②ペッサリーによる避妊法に対する消極性と同時に、私たちが考慮しなければならないのが、日本人の堕胎に対する意識の問題です。 日本では、江戸時代まで堕胎が気軽に行なわれていたこと、そのことに西洋人が驚いた..
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保健衛生調査会の建議③さらに、この建議の中では、多産が想定されていたのではなく、妊産婦保護事業が徹底され、社会に衛生思想が普及した結果、欧米のように少産の時代がやってくることが想定されていた可能性について述べたいと思います..
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保健衛生調査会の建議②さて、その建議の内容ですが・・・以下に、15項目をそのまま載せてみたいと思います。 児童及妊産婦健康の増進に関する件 一、都市に於ては貧困なる産婦を収容する為産院を設置すること。 一、産院..
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保健衛生調査会の建議①保健衛生調査会における妊産婦保護事業の提唱(1920年9月)が、国の重要かつ画期的な政策転換であったことを書こうとしていたところ、ある方面から、その建議が何を意図して行なわれたのかわかりにくいというご..
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藤目ゆき『性の歴史学』②藤目は、産児調節運動が本格化する前に先駆的な活動を行なっていた者として、産婆、柴原浦子を取り上げています。 柴原は、尾道で、米騒動の調停をするなど地元の人々の信頼を集めていたようですが、1920年、..
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藤目ゆき『性の歴史学』①私にとっては難題である、産児制限運動の検証に移りたいと思います。 初めに結論めいたことになりますが、20年代から30年代にかけて展開された産児制限運動に対する、私の疑問点を示しておきたいと思います。..
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猪間驥一という人⑪猪間は、1920年代後半の妊産婦保護事業研究の後、席は東京市政調査会に置いたまま、1930年に設立された、上田貞次郎の日本経済研究会(通称、背広ゼミナール)に参加します。 人口問題研究を本格的に始め..
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猪間驥一という人⑩大学に残ることに執着のなかった猪間驥一は、人口論争が始まる少し前の1925年、東京市政調査会の研究員となり、精力的に調査研究活動を開始します。 彼が主として扱ったテーマが、乳児死亡率であり、その原因..
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猪間驥一という人⑥ここで、こうした事業を一まとめにして、国家主義的な人口政策に取り込まれたとする、「誤解」の要因となっていると思われる、「産めよ殖やせよ」ということばに分析を加えておきたいと思います。 1920年代と..