記事「宇佐神宮」 の 検索結果 121 件
-
宇佐の黄金伝説 13 源氏の守り神(承前) 建保七年(1219、改元して承久元年)正月二十七日、午後六時、鎌倉将軍、右大臣・源実朝は恒例である拝賀のため鶴岡八幡宮へと出立した。鎌倉幕府の要人は勿論、京都からはるばると行列に扈従する..
-
宇佐の黄金伝説 12 筋書き通りの演出?(承前) そこで大神氏を中心にした「黄金伝説」作戦が始まります。勿論、これは虚構、お話しの世界ですから、間違っても学校や会社の友達に教えてはいけません。渡来系の豪族ネットによる筋書きはこうです-。..
-
宇佐の黄金伝説 10 地方豪族の思惑(承前) 今の今まで「宇佐神宮の託宣」⇒「黄金の発見」⇒「東大寺大仏の完成」⇒「九州と都との連携の強化」=といった図式でお話を進めてきましたが、分かってきた色々な事情を総合して考えると、 半島..
-
宇佐の黄金伝説 9 百済王が宮内卿に(承前) 閑話休題--。黄金の献上で天皇の信頼をますます篤いものとした百済王・敬福は従三位(じゅさんみ)を授けられ、宮内卿兼河内守という要職に任じられました。(従三位という位がどれほどスゴイかと言..
-
宇佐の黄金伝説 8 陸奥に黄金花咲く(承前) 待望の金が産出されたと聞き、宮廷歌人・大伴家持(おおとも・やかもち、718~785)は、大喜びの聖武天皇を讃え、 すめろぎの 御世栄えんと 東なる みちのく山に 黄金花咲く と一..
-
宇佐の黄金伝説 7 神託通りに金産出(承前) 幸いなことに宇佐に祀られることとなった応神天皇・誉田別尊の威光はあらたかなもので、国内では藤原氏の一族・藤原広嗣(ふじはら・ひろつぐ,?~740)が乱を起したものの、異国からの進攻によっ..
-
【国内旅行】2013年別府温泉旅行(7/7)【第6日】4月12日(金)のつづき ホテル→日田→耶馬溪→青の洞門→宇佐神宮→ホテル 12:40「裏耶馬溪」の「伊福の景」をはなれて、隣の谷へ……「深耶馬渓」。 ●深耶馬溪:一目八景展望..
-
宇佐の黄金伝説 6 強い神を祀れ(承前) 日本は、卑弥呼の時代から連綿と大陸・半島に存在する国家・集団と緊密な関係を維持していました。その実態は朝献貿易であったのかも知れませんが、常に外交アンテナを大陸方面に向け国際情勢の変化を..
-
宇佐の黄金伝説 5 九州と海の神様(承前) もし、日本書紀の言う通りだとすると話しは更に込み入ったことになります。と言うのも、旧HPオノコロ・シリーズの忠実な読者なら覚えているように、宗像三神は須佐之男(すさのお)の子供であり、多..
-
宇佐の黄金伝説 4 「たらし」と「わけ」(承前) どの代の、どの人からが実在した人物なのか、という難しい話はさておいて、前回の表を見てもらえば、或る一つの傾向があることに気付きます。それは「初代から14代までの天皇に用いられていた『たら..
-
宇佐の黄金伝説 2 記紀は宇佐を語らず(承前) また『宇佐神宮由緒記』によれば、創建からさかのぼること二世紀余、西暦568年(欽明天皇29年)、 泉の湧く処に「鍛冶をする老人」や「八つの頭のある龍」が現れ、 その姿を見た者..
-
宇佐の黄金伝説 1 全国に三万の八幡社おほ海の 磯もとどろに 寄する浪 割れて砕けて 裂けて散るかも 鎌倉右大臣・源実朝(みなもと・さねとも。1192~1219)の私家集『金槐和歌集』(きんかいわかしゅう)に収められている一..
- 前へ
- 次へ