記事「宮脇俊三」 の 検索結果 24 件
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個人情報宮脇俊三『時刻表2万キロ』の文庫本は、角川書店からも出ているが、当初は単行本の後に単行本と同じく河出書房新社から出版された。40年以上前に読んだのはこの版なんだが、カバーの折り返しに、著者の写真と紹介..
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物書き(改稿再掲)葡萄は葡萄としての需要もあるが、そのまま食うよりワインにした方が断然良いというものもある。 そのまんまで良いという需要があれば、そのまんま外へ売ればいいし、ワインにするなら仕込めば良い。 ただし、..
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あれから30年1978年12月20日、宮脇俊三氏が最長片道切符の旅を終えて枕崎へゴールした。ちなみに俺が夏休みに「いつか国鉄全線乗ってやろう」とおっ始めた年の暮に当る。 昨19日、ちょうど『~取材ノート』の最後2..
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婦人公論ネット古書店で1967年の「婦人公論」を一冊買った。駅弁の記事があるとかで。 裏表紙を見て「おお!」 「編集者 宮脇俊三」 この頃編集長だったんだっけ。 私の途中下車人生
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踏切事故「『踏切り事故をなくす最良の方法は踏切りをなくすことである』という言葉が、国鉄だか鉄道建設公団だったかにある。私はこの言葉が好きだ。」(宮脇俊三『時刻表2万キロ』) 夏休み初日に踏切りくぐって轢かれ..
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文才自慢じゃないが昔から文章を書くのが下手だった。と言うよりも下手で嫌いだった。 小学校の宿題絡みで「お前の好きな第九(言うまでもなくベートーベンの交響曲)をテーマに作文を書け」と母親に言われて三回書き..
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2007年日本の鉄道完乗までの軌跡(1)私は2007年に日本の鉄道を完乗しました。しかし、昨年末に開業した沖縄ゆいレールの延長区間(首里~てだこ浦西間)が未乗のまま残っていますので、ぜひとも乗りに行かなければなりません。また、長崎駅が高架..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 259トップに青函連絡船 十和田丸を(旅と鉄道より) 青函連絡船 「北の旅情」 2 昭和61年頃には終..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 257鉄道ジャーナル社 86夏の号より 「北の旅情」 1 ジリ貧気味の青函連絡船も、残り2年ぐらいから、取材や撮影の機会が増えた。これは列車など他の交通機関や..
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宮脇俊三と種村直樹鉄道に関して造詣の深い方といったら、それこそ星の数ほど名前を上げることができますが、その中で一頭地を抜いている二人と言ったら、宮脇俊三と種村直樹にとどめを刺します。 鉄道の楽しみ方を提示しただけ..
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宮脇俊三と鉄道紀行展没後5年、なおも鉄道紀行作家として高い評価を受ける宮脇俊三氏の鉄道紀行展が世田谷文学館で7月12日より開催されています。 20日にようやく訪問することが出来ました。 入館チケッ..
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ローカルバスの終点へ宮脇俊三 著 人気ブログランキング <内容> 地図を片手に北海道から沖縄まで、鉄道も通わぬ僻地のバスに揺られて、鄙びた田舎へ、過疎の村へ、深山幽谷、究極の僻地へ、23の路線バスの終点を訪ねる旅行..
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