記事「小倉政太郎」 の 検索結果 12 件
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いくつかの新しい情報7最後にもう一つだけ、東洋経済新報社京城支局がどのように設立されたのか、ヒントになる記事をご紹介します。拙稿「経済学者、鈴木武雄の大陸前進兵站基地構想と戦時下、東洋経済新報社京城支局による『大陸東洋経..
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いくつかの新しい情報2ここで、1939年9月30日、『東洋経済新報』誌上に掲載された無署名論文「朝鮮経済の新動向=前進基地的性格と工業化運動=」と社告「京城支局開設記念時局問題大講演会」を見ておきたいと思います。これは社..
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鈴木武雄についての小論文2あけましておめでとうございます 昨日、大学院の紀要のための原稿提出を終了しました。『猪間驥一評伝』と合せると、これで私が書こうとしていた内容をとりあえず網羅したことになります。 それにして..
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鈴木武雄についての小論文どうしてもお返事したいお手紙を何通もいただいているのですが、来年の冬休み明けまでに書き上げなければならない小論文があります。 『日本人の海外活動に関する歴史的調査』のもう一人の編集委員であるマル..
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ぬかるみの中の石橋湛山研究3『大陸東洋経済』元編集長の原田運治が、復刻版『大陸東洋経済』に寄せた文章の大陸前進兵站基地構想に言及した部分を再録します。 朝鮮は支那事変中は、大陸進攻の兵站基地と位置付けられていた。朝鮮派地理..
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ぬかるみの中の石橋湛山研究2ここで、『大陸東洋経済』設立までの過程を、小倉政太郎・鈴木武雄の動きを軸に、高橋亀吉・石橋湛山の動きを加えて整理します。 1935年初め、高橋亀吉、朝鮮を旅して、『現代朝鮮経済論』を著わす。こ..
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ぬかるみ中の石橋湛山研究先日、国立国会図書館へ行って、一橋大学図書館所蔵『大陸東洋経済』の欠番を、復刻版によって補ってきました。その内容については前回記事に反映させています。 復刻版『大陸東洋経済』(2001年)の冒頭..
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石橋湛山と『大陸東洋経済』昨日、一橋大学図書館へ行って『大陸東洋経済』40号中31号分に目を通してきました。先日、国会図書館へ行こうとしたら祝日で休館となっており、今週中はどうしても出かけることができないので、その前に一目見..
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高橋亀吉の経済評論50年3東亜経済ブロック内の植民地重工業化を、鈴木武雄は大陸前進兵站基地構想という名の下に、高橋亀吉は大東亜共栄圏構想の名の下に行おうとしていたことはすでに述べました。 文献を整理するために、亀吉の19..
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猪間驥一研究計画書5終章 石橋湛山の小日本主義と高橋財政下の三つの構想 『日本人の海外活動に関する歴史的調査』編纂の過程には、もう一つ隠されたエピソードがあった。それは、京城大学にいた鈴木武雄と、かつて『東洋経済新報..
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京城で起こっていたこと以前に、鈴木武雄と高橋亀吉、小倉政太郎との関わりについてはまとめていますが、今回はそれに石橋湛山の動きをプラスして並べてみました。 内容からすると、「鈴木武雄と石橋湛山2」としてもよかったのですが、..
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高橋亀吉と鈴木武雄メモ3書きそびれていましたが、鈴木武雄の大陸前進兵站基地論についての追加情報です。 鈴木は『朝鮮金融論十講』(1940年)、『朝鮮の経済』(1942年)を著わした後、1942年、『朝鮮経済の新構想』を上梓..
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