記事「崇徳上皇」 の 検索結果 65 件
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保元の乱と平治の乱【教科書まとめ】◆崇徳上皇と後白河天皇◆ 鳥羽上皇の死後、崇徳上皇(すとくじょうこう)の勢力と後白河天皇(ごしらかわてんのう)の勢力の対立が強まった。 兄の崇徳上皇と弟の後白河天皇は鳥羽上皇の子で、鳥羽上皇の後の..
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◆きょう8月26日は崇徳天皇の薨御された日です。◆きょう8月26日は崇徳天皇の薨御された日です。 長寛二年【1164年】八月二十六日のことです。 旧暦との違いはありますが、854年前のこと。 崇徳上皇〔すとくじょうこう〕は、後に讃岐院と..
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◆きょう8月26日は崇徳天皇の薨御された日です。◆きょう8月26日は崇徳天皇の薨御された日です。 長寛二年【1164年】八月二十六日のことです。旧暦との違いはありますが、853年前のこと。 崇徳上皇〔すとくじょうこう〕は、後に讃岐院と称さ..
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聖護院門跡の塔頭 積善院凖提堂へ御辰稲荷神社から駐車場に戻る途中に、積善院凖提堂(しゃくぜんいんじゅんていどう)の前を通りました。ここは、聖護院門跡の東側にある塔頭寺院ですが、門も開いているので寄ってみることにしました。 以前..
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悲運の崇徳天皇 淳仁天皇を祀る白峯神宮へ前回の晴明神社から、メンテナンスや月末月初めの多忙も重なって、間が空きましたが、前回の続きです。 晴明神社から再び今出川堀川のバス停まで、戻ってきました。その向かいに白峯神宮があります。 NHK..
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御棺台石香川県坂出市に鎮座する高家神社(血の宮)の境内にある六角形の石。崇徳上皇の御棺を八十場から白峯山へ御葬送の途中、高屋付近で天がにわかにかき曇り風雨雷鳴があったとのこと。葬送の列は御棺をしばらくこの地に..
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十三重塔香川県坂出市の白峰寺に至る150m程手前の参道脇に立つ2基の十三重塔。源頼朝が崇徳天皇菩提の為に建てた供養塔と伝えられていて、東塔は総高5.95mで弘安元年の刻銘があり花崗岩製で、西塔は総高5.62m..
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頓証寺殿坂出市の白峰寺境内にある崇徳上皇の御廟所で、鼓岡の御所(木の丸殿)を移築したものと伝わっています。崇徳上皇崩御後、度々都で変事が続いたため、上皇の霊を祀る御廟所が建てられ、速やかに迷いを断ち悟りを開く..
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白峰御陵保元の乱で敗れ讃岐の地に配流となった崇徳上皇は、8年後の長寛2年(1164年)8月6日に46歳で鼓岡で崩御されました。上皇のご遺体は白峯山稚児ヶ嶽の頂上で荼毘に付され御陵が築かれました。この御陵は四国..
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松山の津保元元年(1156年)7月、保元の乱に敗れ讃岐に配流となったた崇徳上皇は、最初に松山の津というところに着船したと伝えられていて、それがこの地とのこと。ここは現在は海岸線から1.8km程の距離になってい..
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雲井御所跡崇徳上皇が国司庁の近くの鼓岡に移るまでの約3年間を過ごされた場所。上皇が都を懐かしがられ「ここもまた あらぬ雲井と なりにけり 空行く月の 影にまかせて」と詠まれた歌に因み雲井御所と呼ばれています。な..
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長命寺跡讃岐に配流となった崇徳上皇は、讃岐国府の役人であった綾高遠の館を改修して仮の御所とされたそうです。しかし、上皇の仮御所として自邸では不敬があると考えた綾高遠は、上皇をすぐ傍の長命寺に移されたと伝えられ..
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