記事「巴川 橋」 の 検索結果 26 件
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巴川に架かる橋 14巴川の第四期改修工事は明治42年12月~43年6月まで行われ能島~鳥坂間の2170メートルが1110メートルに短縮されました。改修後の三日月の湿地は稲森合板の貯木場として買い取られました。清水港から数..
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巴川に架かる橋 13清水港から数えて13番目の橋は堀込橋です。この地点は第三期改修工事が明治42年4月から42年12月まで行われ1080メートルの長さを746メートルまで短縮されました。手前には歩行者専用のぱるおおはしが..
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巴川に架かる橋 12巴川は静岡市から清水港までの17.98キロを流れていますが屈曲部が60数カ所もあって豪雨時には度々氾濫を起こし住民の悩みの種になっていました。明治に入って二期目の改修工事が明治41年3月から42年1月..
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巴川に架かる橋 11清水港から数えて11番目の橋は渋川橋です。昭和56年3月に完成しています。巴川橋と渋川橋の間には改修で残った湿地を坂政合板が払い下げ貯木場とし会社専用橋梁として橋が架けられました。現在坂政合板はなくな..
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巴川に架かる橋 10清水港から数えて10番目の橋は国道1号線に架かる国一巴川橋です。昭和4年に架けられたが交通量の増大で昭和50年に拡幅工事が行われ現在に至っている。稚児橋と巴川橋の間には武田信玄が駿河に侵攻し巴川の蛇行..
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巴川に架かる橋 9清水港から数えて9番目の橋は稚児橋です。巴川に架かった初めての橋で、慶長12年(1607年)徳川家康の命で、53次の江尻宿から追分に渡る橋として作られ、江尻橋と命名されることになっていたが、渡り始めの..
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巴川に架かる橋 8慶長年間(1607年頃)駿府に移り住むことにした徳川家康は巴川を利用し江尻と府中を結ぶ水路として城に必要な物資や石材を船で運ぶことになり巴川は流通経路として重要な手段となりました。清水港から数えて8番..
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巴川に架かる橋 7清水港から数えて7番目に架かる大正橋は大正2年に庵原郡江尻町と安倍郡入江町を結ぶ橋として架けられました。手前を静鉄鉄橋とJR鉄橋が平行して通っています。西側には魚釣りに最適な浜田親水公園、橋の袂には水..
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巴川に架かる橋 6清水市役所から静岡駅南のカネボウ通りを結ぶ巴川に架かる6番目の橋は千歳橋です。昭和33年8月に竣工されました。橋の下流は有料駐車場に利用されています。橋の東側の土手沿いには古きよき時代の風情を残す飲食..
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巴川に架かる橋 5巴川は2級河川ですが河川法によれば1級河川は「国民経済上重要な水系で国土交通大臣が指定したもの」。2級河川は「1級河川以外の公共に重要な水系で都道府県知事が指定したもの」ということで重要度によって決め..
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巴川に架かる橋 4巴川は蛇行して流れているため大雨がふると、たびたび氾濫を起こし水害による被害に悩まされた。明治40年から本格的な改修工事に着手した。一期工事は江尻から北脇新田までの2.58キロを改修後は648メートル..
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巴川に架かる橋 3巴川は静岡市から清水港まで流れる2級河川ですが屈曲が60数カ所もあって巴のように蛇行していたので巴川と呼ばれたという。清水港から数えて3番目の橋は万世橋(よろずよばし)です。明治の中頃、当時の町長「望..