記事「幣原喜重郎」 の 検索結果 22 件
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幣原喜重郎の「経済外交」81922年初めに締結されたワシントン海軍軍縮条約は、1934年末に日本の破棄が通告され、1936年末に失効します。また1930年に批准されたロンドン海軍軍縮条約も、1936年初めに日本が脱退し、軍縮時..
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幣原喜重郎の「経済外交」7「日本の率直なる公式声明」③ 山東について 日本は、山東を支那から剥ぎとったという非難を受けている。この真相はどうなのか。 大戦中、日本は極東に於ける連合国の利益を守る義務を負うたので、青島に於..
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幣原喜重郎の「経済外交」6「日本の率直なる公式声明」② フィリピン しかし取り越し苦労性の人間はまだその先を考えている。日本はフィリピンの攻撃ができるのではないかというのだ。が日本は少しもフィリピンを望まない。香港、仏領..
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幣原喜重郎の「経済外交」5幣原喜重郎は、ワシントン海軍軍縮会議開始に際して、『ニューヨーク・タイムス』の月刊誌『カレント・ヒストリイ』(1921年12月号)への寄稿を行っています。「日本の率直なる公式声明」と題するもので、日本..
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幣原喜重郎の「経済外交」4幣原喜重郎全権のワシントン会議第6回総会(1922年2月4日)席上での発言: 日本は条理と公正と名誉とに抵触せざる限り、出来うるだけの譲歩を支那に与えた。日本はそれを残念だとは思わない。日本はその提..
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投稿論文のこと、研究のこと●先日、『都市問題』のために書いていた原稿が、同誌の3月号に載ることになったという連絡がありました。まだ細かな手直しは必要なようで、完全に解放されたわけではありませんが、こういう原稿を抱え込んでいると..
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幣原喜重郎の「経済外交」3服部龍二著『幣原喜重郎と二十世紀の日本 外交と民主主義』(2006年)にも、第1部第2章に「経済外交の行方」という節が設けられています。 この中で目についたのが、「北京関税特別会議」のところにある「..
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幣原喜重郎の「経済外交」2幣原平和財団『幣原喜重郎』(1955年)には、第9章「外務大臣時代(上)」のところに「経済外交の展開」という節があって、今回はそこからの引用です。幣原という人は、いわゆる幣原外交だけでなく、「幣原の経..
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幣原喜重郎の「経済外交」1いま幣原喜重郎の『外交五十年』を読みながら軽い興奮状態にあります。 幣原関連の書は、石橋湛山の小日本主義との直接的つながりを示すものはまずないだろうと思い、これまで後回しにしていたのですが、湛山との..
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旧資産階級の没落①財産税法の形成とその特徴最高税率90%の財産税を実施。天皇を含め、財産調査日に10万円以上の財産所有者を納税義務者。申告義務期限:1947(昭和22)年2月15日。納付は一ヵ月後。 先立って、世の中に流通している円紙幣を旧..
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