記事「御嶽」 の 検索結果 136 件
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城山御嶽(ぐすくやまうたき)・人々が祈りを捧げるのは天照皇大神ではない。聖なる城山である。伊江島に行って来た。東京から訪れる友人を、決まって案内するのが、本部半島の「美ら海水族館」で、そこから海の向こうを眺めると、奇妙な形をした島が眼に入る。それが伊江島である。平坦な島で、典型的な隆起サ..
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久米島・七嶽神社(ななうたきじんじゃ)久米島の鳥島集落にある。七嶽神社は、その名の通り、硫黄鳥島に在った七つの御嶽を遷し、合祀した神社である。神殿はコンクリート造りで、その中に祠が据えられていた。祭壇には七つの甕が安置され、鳥島七御嶽会..
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御嶽に鳥居・御嶽は先祖の霊と対話する聖域であって、鳥居は相応しくない。沖縄には、「セジ」と云う言葉がある。「霊力」の文字を当てると分かり易い。霊力の持ち主は神であり、そのセジを現わし、示してくれるのが祖霊神である。祖霊神を祀り、対話する場所が御嶽(うたき)と云う聖域で..
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古宇利島の中森御嶽(なかむいうたき)・古宇利島は神の島。アダムとイブの島です。ローカルバスの終点、屋我地島の運天原から、てくてくと歩いて全長2㎞の古宇利島大橋を渡った。沖縄ブルーの海、濃緑に覆われた島々をのんびりと眺め、堪能すること、凡そ30分。 渡り終えて、突き..
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垣内権現洞 (かきうちごんげんどう)・古代人の住居跡が、権現様になっている。本部町、浜元の集落に「メ―ジャフ」と云うバス停がある。地名ではないようだ。メーは何かの前を指し、ジャフは場所などの固有名詞だろうと思うが、地元の方にしか分からない。そのバス停、メージャフの先を左手に..
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安和のクバ御嶽 (あわのくばうたき)・厳かな雰囲気が漂っていた。山入端(やまのは)集落から、安和集落へ入って行った。少し登り坂になって、家並みが途切れ、県道の両側から、緑の森が迫り出した場所があった。その昔の村境を思わせる風景である。村人は坂道を登り、掘割を抜け..
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山入端御嶽 (やまのはうたき)・鳥居の「山入端御嶽」と書いた扁額が裏側にある。なぜだ?国道449号線、名護湾を望む絶景の地に、リゾネックスホテルがある。その向かい側から旧道に入ると、直ぐの右手に山入端御嶽の鳥居が建っていた。折悪しく道路工事中で、鳥居を潜って境内に入って行くことが出来..
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宮里前之御嶽 (みやざとめーぬうたき)・神女(ノロ)の国、琉球に女人禁制の御嶽があった。驚き。名護市役所から東へ凡そ500m、バス道路沿いに鳥居が建っていて、脇に「前之宮」と彫られた石碑が見える。地元では、メーウガミ(前拝み)、またはメーヌタキ(前の御嶽)と呼ぶそうだ。『琉球国由来記』(17..
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屋良城(やらぐすく)跡の拝所・今帰仁城の中北山時代後半に築城されたグスクかも知れない。屋良城跡は、嘉手納町に在り、別名を「屋良大川グスク」とも呼ぶそうだ。北谷町の北側に続く嘉手納町も基地の町で、地図を見ると米軍基地の隙間に市街地が続いている。町の総面積は15.04㎢で、その83%に当..
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下勢頭(しもせいど)の合祀所・勢頭は琉球士族が帰農して形成した開拓集落(屋取)だった。北谷町は基地の町である。先の大戦後、下勢頭は米軍施設カデナエアーベースに収容され、集落の形成は無い。集落を追われた住民が、点在していた拝所を上勢頭の集落へ遷移したのが、「下勢頭の合祀所」である。 ..
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浜川御願(はまかわうがん)・古代の祭祀遺跡のようだが、全容が不明である。北谷町は、総面積の半分以上が米軍キャンプで、北側に嘉手納基地、中央部から南側にかけてはキャンプ桑江、キャンプ瑞慶覧、キャンプ・フォスターの施設で占められている。海寄りの美浜地区には、アメリカンビレッ..
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伊波城跡(いはぐすくあと)の拝所・4か所あると云うのに、3か所しか拝めなかった。嘉手苅観音堂を詣でてから、伊波集落に戻って来た。伊波城跡は、住宅街の向うに続く高台に在る。県道沿いに『伊波城跡を中心とした文化財マップ』が掲示されていた。それに、案内標識も建てられているので、上って..