記事「応仁の乱」 の 検索結果 68 件
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【入門】戦国時代・安土桃山時代の流れ◆まとめ◆ 15世紀中頃 鎌倉公方の分裂。 ↓ 1467年~1477年 応仁の乱。下克上が広がる ↓ 1493年 京都で明応の政変。 北条早雲(伊勢宗瑞)が伊豆の堀越公方を滅ぼす..
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【入門】南北朝時代・室町時代の流れ◆まとめ◆ 建武の新政 後醍醐天皇による天皇中心の政治。 ↓ 室町幕府の成立 1336年、足利尊氏(初代将軍)が建武式目を制定。 ↓ 南北朝の動乱 北朝:足利尊氏 南朝:後醍醐天..
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戦国大名【教科書まとめ】◆下克上◆ 実力がある下の身分の者が上の身分の者に打ち勝つことを下克上(げこくじょう)という。 応仁の乱のころから下克上で守護大名が倒されたり追い出されることがあった。 ◆戦国時代と戦国大名..
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応仁の乱と国一揆、一向一揆【教科書まとめ】◆応仁の乱の始まり◆ 1467年、8代将軍の足利義政(あしかがよしまさ)のときに応仁の乱(おうにんのらん)が始まった。 守護大名の細川氏(ほそかわし)と山名氏(やまなし)の対立に畠山氏などの有力守..
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「応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱」 呉座勇一 著学術的に著述した歴史書なのに、よく売れた本とのことで読むが、どうしてそんなに売れたのかが不思議である。内容は専門的であり、馴染みのない固有名詞も多く出る。そして応仁の乱の経緯は、相変わらず、わかりくに..
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2019年(平成31年)「京都十六社朱印めぐり」御霊神社(上御霊神社)へ今宮神社を出て、一日乗車券を購入している市バスに乗り、北大路バスターミナルまで移動し、そこから地下鉄烏丸線に乗り換えて、次の「鞍馬口駅」に12時15分に着きました。そして地上に出てみると・・・雨が降っ..
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西陣 山名宗全旧邸跡へ京都に西陣(にしじん)と言う地名があります。その西陣の名の由来になった歴史ポイントを見てきました。 話は、応仁の乱まで、さかのぼります。室町時代の守護大名・山名宗全は、当時、強大な勢力を誇ってい..
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百々橋の礎石(室町小学校)百々橋は、寺之内通を流れていた小川(こかわ)に架かる小さな橋で、 この小さな橋が応仁の乱の時の激戦地となりました。その橋の礎石の 一部が、現在室町小学校に保存されています。
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応仁の乱勃発地応仁の乱は、応仁元年から文明9年までの約10年間にわたった内乱。九州の一部を除いた全国が戦場となり、戦国時代への導火線となりました。その応仁の乱が、応仁元年(1467年)1月18日、ここで始まりました..
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百々橋の礎石堀川通の東に陣をおいた東軍と西に陣を敷いた西軍が戦ったのが応仁の乱。その応仁の乱で何度も両軍が戦ったのが、この付近にあった百々橋。百々橋を支えていた4基の礎石の1つがここに残されています。
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山名宗全邸址山名宗全は、室町時代の但馬、備後、安芸、伊賀、播磨を領した守護大名。応仁の乱では、西軍の総大将として戦いましたが、乱の途中に70歳で死去。この辺りを西陣と呼ぶのは、山名邸がここにあったことによるとのこ..
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西陣西陣織で有名な京都の街の地域の名称。応仁の乱の際、避難した職人たちがここの織物技術を日本各地に広めました。西陣の地名の由来は、応仁の乱のときに西軍がこの地域に陣を構えたことによるとのことです。
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