記事「戊辰戦争」 の 検索結果 567 件
-
北越戊辰戦争史跡巡り 小千谷新潟史跡巡り その2 小千谷 二日目の7/17は、小千谷と長岡の主に河井継之助関係の史跡巡りで、小千谷は以下の順に廻ってきました。 小千谷駅-->慈眼寺-->船岡西軍墓地--&..
-
北越戊辰戦争史跡巡り 新潟市内7/16夜に新潟市内にて友人達との会合があり、折角なので7/16午後と、7/17半日をかけ北越戦争の史跡巡りをしてきました。 じっくり廻ると3泊は要るような気がしますが、1泊だけの駆け足の史跡巡りで..
-
幕臣一家5月15日は、154年前の慶應4年に上野にて戦争のあった日になる。 この日、幕臣の高祖父・河島由路は16歳の長男由之と一緒に彰義隊に参加して黒門口で戦い戦死している。 したがって旧暦の5月15..
-
戊辰戦争と多田郷士多田郷士のいる兵庫県川西市の多田庄は源氏の発祥の地であり、僕の住んでいる宝塚から近い。祭神 祭神は清和天皇の曾孫源満仲、頼光、頼信、頼義、義家の五公。すなわち源氏の祖廟であり、源氏の発祥の地 ドラ..
-
青天を衝け! 戊辰戦争へいよいよ日本では大政奉還後から戊辰戦争へと激動の時代に入っていく。 今回以降しばらくは、僕にとって身近な話が出てくるようだ。 慶応4年の鳥羽伏見の戦いでの敗戦を機に、徳川慶喜は松平容保など側近..
-
慶喜の大坂城脱出鳥羽伏見の戦いの最中に、徳川慶喜が大坂城を脱出した。 このことを、月岡芳年や長谷川貞信が「徳川治蹟年間紀事 」のシリーズの錦絵のなかで描いている。よく知られた画題「十五代 徳川慶喜公」だが、二人の錦..
-
史書を訪ねて 復古記先週の「史書を訪ねて」で、取り上げられていたのは『復古記』 『復古記』は慶應3年(1867)の大政奉還から戊辰戦争最後の箱館戦争終結までを扱う。各家の家記の抜粋などから同じ出来事を多角的に記述しては..
-
小杉家資料の記憶と記録 その2昨年、小杉辰三が創設に関わった神戸製鋼所の操業時の資料を、神戸製鋼所ヘ譲渡した。 神戸製鋼所は先の大戦時の空襲により史料は灰燼に帰しているので、今後あらたな社史を編纂するときに役に立つはずだ。 ..
-
慶応4年1月の会津藩殉難者鶴ヶ城天守閣郷土博物館の平成30年度企画展の図録『一八六八年の会津藩』を開いて、驚いたことがある。慶応4年1月7日の条に「京都、金戒光明寺を守る約百人の部隊壊滅」と記されている。 薄見寡聞の者な..
-
薩摩藩蔵屋敷跡田町駅前の再開発 僕の住んでいた場所が大きく変わる。 報道によると、 三菱自動車本社があった第一田町ビルと隣の徳栄ビルの敷地に、高さ約150m、延べ約131,000㎡の超高層ビルが建設される..
-
彰義隊と雁鍋最近は上野戦争当日の彰義隊の戦いに関心がある。 『史談会速記録』第74輯記載の明治31年の小野保の話によると、 膠着状態のこの戦争の流れを大きく変えたのは、滋野直臣という兵士の空腹だという。..
-
ディアナ号の大砲 その3以前、沈没したディアナ号の大砲がどうなったのか調べたことがあった。 奈木盛雄『駿河湾に沈んだディアナ号』(2005年)によれば、先行研究には以下のものがあり、内容も詳しく紹介している。 ①肥田..