記事「戊辰戦争」 の 検索結果 566 件
-
靖国神社と会津藩士(9)(7)石山綱江=警視局四等巡査、豊後口警視第一号一番小隊。兵士、士族。10年3月18日、肥後国阿蘇郡黒川村で戦死。33歳。青森県から出陣ーと記録されており、戊辰戦争後に斗南に流され、現地に落ち着いて..
-
靖国神社と会津藩士(2)まずは、靖国神社の生い立ちから。明治2年(1869)、戊辰戦争の犠牲者を弔うため東京招魂社として建立されたのは述べた。 その後明治12年(1879)6月、靖国神社と改称し、国家への功労者を祀る別..
-
E06)ラストサムライのモデルとなったフランス人幕府に味方し、五稜郭で戦ったジュール・ブリュネ。 ラストサムライ [DVD] / トム・クルーズ, 渡辺謙 【ラストサムライのモデルになったフランス人】 ジュール・ブリュネを知っ..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(259)◇第二の拠点(最終回) 天皇の民に対し、略奪暴行をほしいままにしたのは、どういうわけか?官軍の味方をしなかったから、妻や娘を多勢で寝とったのも、当然というのであろうか。 鶴ヶ城城内..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(257)◇第二の拠点(44) 中野こうを指揮者とした娘子隊(と、榊山潤は書いているが、まったくの誤りだ。会津藩の名誉のために言わねばならない。会津藩は婦女子まで駆り出して戦をしようとしたことは..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(255)◇第二の拠点(42) 北追手門の戦いの時、70ばかりの老武士が槍を引っさげておどり出し、西軍の一人を刺し、返す石突で他の一人の腰を突いた。続いて、14、5歳の少年が同じく槍を持って現わ..
-
歴史小説 鶴ヶ城物語(254)◇第二の拠点(41) 昨夕、握り飯を一つ食っただけだった。昨夜は岡の上で一睡もせず、今日は朝から戦い、雨に濡れながら間道を歩いた。腹は減り切って、疲れもひどい。 それに錯覚だったが..
-
ワタスイ「きゅうりの焼酎ぼんぼん」(福島県)福島県のほぼ中央に位置する須賀川市。 鎌倉時代以降は二階堂氏の構える須賀川城の城下町として発展しますが、後に伊達政宗により制圧されます。 その後、江戸時代には奥州街道の宿場町として栄え、松尾芭蕉が..
-
北戦日誌の山入村戦その2山入戦続き。浅田惟季北戦日誌(緑)と大鳥圭介南柯紀行(青)を重ね合わせながら進めます。記述の前後違いは若干あります。 この本宮・山入村派兵の後。南柯紀行より。 「八月中旬、余既木地小屋..
-
北戦日誌の山入村戦その1Twitterで、母成峠の戦いの前日に行われた山入村の戦いについて触れました。戊辰戦争にて会津の国境が破れた致命的な敗戦であったとされる母成峠の戦いですが。その前日にあった戦闘はあまり注目されてい..
-
御薬園(おやくえん)の始まりと歴史の概要を集約してみました¨*¨*¨震災からの一日も早い復旧と復興をお祈りしています¨*¨*¨ 約400種類に及ぶ薬草・薬木を栽培している御薬園(おやくえん)。 その歴史は深く、至徳年間(1384~1386)に霊泉とし..
-
『五稜郭の兄弟』 高橋義夫 廣済堂文庫衝鋒隊隊長の古屋佐久左衛門と幕医高松凌雲先生の兄弟が主役の物語。 ストーリーは高松勝次(後の古屋佐久左衛門)こと「勝兄」が故郷の久留米を出奔する場面に始まり、箱館五稜郭で負傷して弟の権平(高..