記事「戊辰戦争」 の 検索結果 566 件
-
妙教寺による東軍戦死者の回向京都妙教寺では代々御住職が毎年2月4日に、鳥羽伏見の戦いの激戦地である千両松(八番楳木)と愛宕茶屋堤防とで慰霊を行い、本堂で法要を営んで来られた。 東京からの新選組関係者9名と京都会津会6名とで参列..
-
京都法伝寺の東軍戦死者霊名簿京都法伝寺では、鳥羽伏見で勃発した一連の戦いで亡くなった東軍戦死者の霊名簿を所蔵されており、毎年8月には慰霊祭が行われている。 門前左側には、 「戊辰東軍戦死之碑」の刻まれた巨大な慰霊碑が建って..
-
第22回東軍慰霊祭に参加して今年で第22回になる戊辰役東軍殉難者慰霊祭は、京都淀の妙教寺にて行われた。 慰霊祭の式次第は以下の通り 1400 慰霊祭 於本堂 祭文奉読 井上雅雄氏(新選組井上源三郎ご子孫..
-
第22回戊辰役東軍殉難者慰霊祭またそろそろ東軍慰霊祭の季節がやってきた 今年は楽しみなことがある。 第22回目の慰霊祭は、久しぶりに京都での開催が企画され、10月4日に淀の妙教寺にて行われる。記念講演は『古絵図でたどる鳥羽伏..
-
静岡2日目 東軍関係史跡めぐり「戊辰役東軍殉難者慰霊祭」のイベントとして企画された東軍関係の史跡めぐりに参加した。 コースは、 宝台院-->浮月楼-->山岡・西郷会見之地碑-->宝泰寺-->臨済寺--..
-
京都における東軍慰霊碑の変遷戊辰戦争は慶応4年1月に鳥羽・伏見に於いて勃発した。 その京都には東西両軍の慰霊碑・記念碑があるが、東軍側の慰霊碑と戦死者埋骨碑は明治30年から40年にかけて建立された。 京都守護職の本陣が最初に..
-
京都における東軍慰霊碑と霊名簿京都南禅寺の金地院と、伏見の御香宮は、鳥羽伏見の戦いで亡くなった東軍戦死者の霊名簿を所蔵しており、その土地の東軍戦死者慰霊碑の前で個別に慰霊祭を行っていた。黒谷金戒光明寺にある会津藩の慰霊碑とは異なり..
-
東軍慰霊祭雑感毎年、戊辰戦争で亡くなった東軍戦死者の慰霊祭が、京都から東の各地の激戦地や遺骸などを葬ったお寺などで個別に行われている。 年間に行われる法要・慰霊祭の数はかなりの数に上る。 戦争が勃発した鳥羽..
-
彰義隊士と魚屋さん日暮里に行くと、ランチは決まって谷中ぎんざにある鮨屋さん「魚て津」でいただく.。 この店には、安くておいしいランチも目当だが、店内に大事に飾られている「魚て津の今昔由来」の由緒書きを確認しに行くのも..
-
京都にある東軍慰霊碑と埋骨地碑戊辰戦争で戦死した東軍将兵の墓は、薩摩藩や長州藩などの西軍とはその建立の経緯に大きな違いがある。 また、慰霊碑に至っては京都でも明治後年まで建立されてこなかった。ましてや鳥羽伏見の戦いで散った東軍将..
-
二人の勇士英公使パークス襲撃事件とは関係はないが、この事件からいつも想起することがある。 林田衛太郎と三枝蓊は、公使一行を護衛していた騎馬兵12名と第九連隊第二大隊分遣隊を始め前後も含め大勢の守備兵の中へたっ..
-
ディアナ号の大砲最近、幕末のロシア軍艦ディアナ号の名前をよく目にする。 ディアナ号は、幕末に日露交渉のためにプチャーチン提督一行を乗せて日本にやって来たが、交渉場所の下田で東海沖地震に遭い、発生した津波で被害を被る..