記事「戦国史」 の 検索結果 1987 件
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石田三成の実像3419 中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」24 「『関ヶ原』の戦い」 慶長5年9月17日付の松平家乗宛石川康通・彦坂元正連署状写 「とりむすぶ」という語の解釈をめぐって中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」の中で、関ヶ原の戦いについて、戦いの場所や経緯について、従来の説とは違った新たな説が出ており、議論が活発になっていることに触れながらも、深入りは避けられていました。講..
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石田三成の実像3418 中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」23 「三成の復権と新たな『公儀』の成立」3 慶長5年8月5日付、10日付の真田昌幸ら宛の三成書状中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」の「三成の復権と新たな『公儀』の成立」の中で、慶長5年8月5日付の真田昌幸・信幸・信繁宛の石田三成書状が取り上げられ、特に九条と十条の部分について注目されていました。..
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石田三成の実像3417 中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」22 「三成の復権と新たな『公儀』の成立」2 慶長5年8月4日付の松井康之宛の二大老連署状と四奉行連署状中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」の「三成の復権と新たな『公儀』の成立」の中で、二大老四奉行体制による新しい豊臣公儀が発足したことを示す史料として、慶長5年8月4日付の松井康之宛の二大老連署状、及び四奉..
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石田三成の実像3416 中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」21 「三成の復権と新たな『公儀』の成立」1 慶長5年8月2日付の真田昌幸宛二大老四奉行連署状中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」の「三成の復権と新たな『公儀』の成立」の中で、慶長5年8月2日付の真田昌幸宛二大老四奉行連署状が取り上げられていました。二大老(毛利輝元・宇喜多秀家)と四奉行(長束正..
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石田三成の実像3415 中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」20 「三成の退隠」6 三奉行に政権の正当性があることを示す最上義光宛家康書状 *この書状についての白峰旬氏の見解中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」の中で、三奉行に政権の正当性があることを示す史料として、慶長5年7月23日付の最上義光宛家康書状が取り上げられていました。この書状については、中野氏の「石田三成伝」(..
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石田三成の実像3414 中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」19 「三成の退隠」5 三奉行が命令の決定権を持っていたことを示す連署状中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」の中で、慶長5年7月17日に家康弾劾状である「内府ちかひの条々」が公布される前後の書状がいくつか取り上げられていましたが、7月17日付の島津義弘宛長束正家・増田長盛・前..
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石田三成の実像3413 中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」18 「三成の退隠」4 慶長5年7月15日付の上杉景勝宛島津義弘書状・6月上旬の段階で三成・吉継らが反家康のスタンスを取っていたとする白峰旬氏の見解中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」の中で、慶長5年7月17日に家康弾劾状である「内府ちかひの条々」が公布される前後の書状がいくつか取り上げられていました。 まず7月15日付の上杉景勝宛島津義弘書状..
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石田三成の実像3412 中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」17 「三成の退隠」3 三奉行連署状の正統性中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」の中で、慶長4年閏3月、三成が退隠し、さらに9月に浅野長政が解職され、蟄居になるに及んで、いわゆる五奉行は三奉行になったものの、三者連署状、いわゆる三奉行連署状の正統..
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石田三成の実像3411 中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」16 「三成の退隠」2 増田長盛も引退に追い込まれる可能性があった中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」の中で、三成を失脚させようとする騒動(中野氏は通説通り「三成襲撃事件」と捉えておられましたが、水野伍貴氏・白峰旬氏は「三成らに対する訴訟騒動」だっと主張されています)..
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石田三成の実像3410 中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」15 「三成の退隠」1 前田利家の死去により均衡状態が崩壊・通説通り「三成襲撃事件」という捉え方中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」の中で、秀吉死後、さまざまな政策課題を抱え、主導権争いがありながらも、大老・奉行による十名による合議制が機能してきたものの、慶長4年閏3月の前田利家の死去によって、そ..
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石田三成の実像3409 中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」14 「『奉行』から『執政』へ」4 秀吉没後の領知改編中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」の中で、秀吉没後の豊臣政権が取り組むべき問題として、「朝鮮半島からの撤兵 大名統制」「(領知改編など)朝廷との交渉」「海賊停止」「豊臣家蔵入り地の管理」「費用等豊臣家..
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山路興造氏の講演「藤原氏の拓いた宇治ー離宮祭を中心にー」 京都探訪390 太閤堤の石積み護岸の復元6日、「お茶と宇治のまち歴史公園」(太閤堤跡史跡公園)内の施設「茶づな」で行われた山路興造氏の講演「藤原氏の拓いた宇治ー離宮祭を中心にー」を聴きに行きました。宇治は藤原氏の別荘地になって発展した..