記事「日本人の海外活動に関する歴史的調査」 の 検索結果 33 件
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湛山の表現をそのままに!大学院の紀要のために書いている論文の締め切りが迫る中で、石橋湛山関連の文献から重要なことが分かりました。『湛山回想』の中に次のようなことが書かれています。 私は明治天皇崩御の直後「明治時代の意義」と..
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土方成美ゼミ生たちの受難前回同様、土方成美『事件は遠くなりにけり』(経済往来社、1965年)からの引用です。土方ゼミとはいっても、厳密にはゼミ生ではなく、ゼミに出入りしていた北山冨久二郎の話が中心になります(引用文中にもあ..
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転向していた、鈴木武雄森戸事件を調べるために『エコノミスト』のページをめくっていたら、1956年5月26日号に、「日本財政学会」についての記事があり、その「大内門下の三羽鳥」のところに、次の一文がありました(ちなみに三羽..
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湛山の公職追放と共産党増田弘さんは、『石橋湛山 占領政策への抵抗』(草思社、1988年)の中で、共産党が湛山の公職追放に果たした役割について述べられています。 共産党の野坂参三がGSのマーカム宛に、「湛山の戦争協力に..
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大内兵衛グループの犯罪史2やっぱりもう少し書いておきます。 前回書いたのは、大内兵衛グループのうちの、いわば大内・有沢コンビによる、石橋湛山の排除を目的とした吉田茂を利用した策略といっていいものだと思うのですが、今回付け..
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「物価の地位高く」の由来やはり1920年代終わりの『東洋経済新報』を見ていて、1927年1月1日号に掲載された石橋湛山の論説「物価下落を希望する謬想」と添付されたグラフのタイトル「見よ、我物価の国際的位地!」が目に留まりま..
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藤田武夫の謎めいた経歴4藤田の戦前の地方財政問題のとらえ方は、私がざっと見た限りでは、戦後間もない1949年12月に上梓された、『日本地方財政發展史』(河出書房)によく表われているように思います。 第六章 昭和二年金融恐..
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内海丁三、石橋湛山との日々(追記)『大蔵省百年史』別巻を調べたら、櫛田光男の名前が出ていました。それによると、 1946年2月2日、大蔵省に理財局が再置され(1945年5月19日に廃止されていた)、櫛田光男が局長に就任する。 1..
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鈴木武雄についての小論文どうしてもお返事したいお手紙を何通もいただいているのですが、来年の冬休み明けまでに書き上げなければならない小論文があります。 『日本人の海外活動に関する歴史的調査』のもう一人の編集委員であるマル..
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石橋湛山と『大陸東洋経済』昨日、一橋大学図書館へ行って『大陸東洋経済』40号中31号分に目を通してきました。先日、国会図書館へ行こうとしたら祝日で休館となっており、今週中はどうしても出かけることができないので、その前に一目見..
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高橋亀吉の経済評論50年北山冨久二郎について、もう少し書くべきことがあったのですが、現在、読んでいる高橋亀吉の『経済評論五十年』は、北山について議論する際にも重要な情報をもたらすものなので、こちらを優先させます。 亀吉..
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鈴木武雄の二股について前回記事の、鈴木武雄が二股をかけていたことについて、あるいはそのキャラクターについて、少し補足しておきたいと思います。とはいっても、すでに述べていることを整理するだけです。 ①東京帝国大学経済学部大..
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