記事「東京帝国大学経済学部」 の 検索結果 9 件
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猪間驥一と森戸事件の真実①森戸辰男の『思想の遍歴(上):クロポトキン事件前後』(春秋社、1972年)を読んでみたのですが、意外なことがいろいろあって驚きました。 ◆森戸辰男への驚き この書には、森戸事件関連の新聞記事す..
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森戸事件と猪間驥一の意思1919年9月、猪間驥一(いのまきいち)は東京帝国大学に新設された経済学部の第一回生として入学しますが、翌1920年の初頭、森戸事件に遭遇します。 まさか彼がこの事件に深く関わっていたとは思わな..
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猪間驥一の東大追放・補2大内兵衛『私の履歴書』(1951年)では、第7章に当たる「ヨーロッパ留学」の後が、「再び教壇に」となっており、1923年9月、関東大震災で帰国した後の東京帝国大学経済学部のようすがつづられています。..
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猪間驥一の東大追放・補1昨日は、勤務の後に出かけた一橋大学図書館で、思いがけずたくさんの収穫がありました。 一つは、猪間驥一の東大追放に関するもの。もう一つは、猪間の新たに見つかった何編かの論文。さらには、「北山冨久二..
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有沢・大森とレーデラー教授近代デジタルライブラリーを見ていて出てきたものに、有沢広巳・大森義太郎共訳による、エミール・レーデラー『理論経済学概説』がありました。ここで取り上げるほどのものではないのですが、有沢が猪間驥一を東京帝..
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猪間驥一の何がすごいのか日本人口問題研究のパイオニアとも称せられるべき、猪間驥一の主な業績をまとめてみました。なお、この記事は適宜、修正を行う予定であることを、あらかじめおことわりしておきます。 戦前:統計学の普及・人..
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猪間驥一評伝抄・第2章①第2章「糸井靖之より統計学を学ぶ」① 1.東京帝国大学経済学部入学 ●1919年9月、猪間は、東京帝大の法学部から独立し、新設されたばかりの経済学部に進学する。 ●当時、東京帝大経済学部独立の立..
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猪間驥一評伝抄・第2章②第2章「糸井靖之より統計学を学ぶ」② 山崎覚次郎(1868‐1945): ●ことごとく貨幣金融関係のものだった山崎覚次郎の論文の中に、ただ一編、「社会問題の調査方法たるアンケート」という異質の論文..
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有沢広巳に関する訂正2厳密には、有沢広巳に関する訂正ではなく、猪間の略歴の訂正ですが、有沢広巳との関係で重要なので、このようなタイトルにさせていただきました。 たまたま『世界経済図表』に挿入されていた付録の栞の「著者紹介..
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