記事「東山文化」 の 検索結果 14 件
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室町文化【教科書まとめ】◆北山文化と金閣◆ 室町文化のうち、足利義満のころの文化を北山文化(きたやまぶんか)という。 貴族の文化と武士の文化が融合した。 京都の北山に足利義満が建てた別荘の金閣(きんかく)は北山文化の代..
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足利義政が創建した東山文化を代表する「銀閣寺」を再訪する上掲の写真は 展望所から撮った銀閣寺(正式名称 慈照寺)で 左側に銀閣(観音殿) 右側に手前から東求堂(持仏堂)・本堂(方丈)・庫裏が見えます。 銀閣寺(正式名称は東山慈照寺)の創建は1482年..
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室町文化(北山文化・東山文化)【要点と基本解説】◆要点◆ 金閣(きんかく) 足利義満が北山(きたやま)に建てた別荘。 公家の文化と武家の文化の融合したもの。 銀閣(ぎんかく) 足利義政が東山(ひがしやま)に建てた別荘。 簡素な武家の..
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慈照寺今日は慈照寺(じしょうじ)、通称「銀閣寺」です。 慈照寺は、臨済宗相国寺派の寺院です。 歴史の教科書でもおなじみでしょう。 室町時代後期の東山文化を代表する建築と庭園です。 創健は8代将軍..
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古典建築探訪_龍安寺 石庭の秘密 #03 少ない対称物に求められる高いデザイン性 右京区/京都市方丈広縁より、石庭に5組ある石組のひとつと背景となる築地塀を見る。 この塀は土に菜種油を混ぜ、強度を高めたもので、この色もそのことに因るようである。 (絵は#02と入れ替えました) ..
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古典建築探訪_龍安寺 石庭の秘密 #02 明確なテーマをもたないこと 右京区/京都市方丈広縁より、広縁付近の雨落溝を見る 先の#01で庭園の広さのことに触れたが、その面積が縮小してゆく傾向は、 その後の江戸時代の方が大いに流行し、そして茶室の庭(露地)や坪庭へと 変化していった..
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古典建築探訪_龍安寺 石庭の秘密 #01 広さのこと 右京区/京都市方丈広縁より、南に広がる石庭を見る石組と白砂だけの龍安寺石庭は、なぜこれほどまでに、人の気を引くのか。その秘密は何だろうと思った。最初、この徹底したシンプルさについては、禅の精神のようなものを表現した..
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古典建築探訪_東求堂 同仁斎 #04 東求堂外観 慈照寺(銀閣寺)/京都東求堂の南東面を見る 南面(左面)中央の両開き戸が持仏堂の入り口であり、同仁斎は、北東(右面奥)の角隅にある。 東求堂(とうぐどう)は足利義政の東山殿の一部として1486年、持仏堂として建てら..
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古典建築探訪_東求堂 同仁斎 #03 違い棚と付書院 慈照寺(銀閣寺)/京都同仁斎の違い棚と付書院を見る同仁斎などは、当時高まりを見せていた東山文化の流れの中に位置付けられようである。そして、その源流をたどれば、それは禅思想だという。禅のキーワードとして、「華美を抑制し、全て..
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古典建築探訪_東求堂 同仁斎 #02 付書院 慈照寺(銀閣寺)/京都同仁斎の付(つけ)書院方向を見る 付書院の左側が違い棚で、右側は先の#01の障子戸で、縁側、庭園と外に連なってゆく。付書院とは、そこで書物を読み書きする、机状の板と明り取りの障子を備えたもので、..
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古典建築探訪_東求堂 同仁斎 #01 縁側と庭園 慈照寺(銀閣寺)/京都同仁斎の室内より縁側、庭園方向を見る4畳半の書院、同仁斎(どうじんさい)は慈照寺(通称銀閣寺)内にある、持仏堂である東求堂(とうぐどう、1486年建立)内の一室である。この同仁斎は現代にまで続く、日本..
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東山文化東山文化といえば銀閣。 浮世を離れ、花を立て、月を眺め、茶を飲む。 日本文化の源流はここなんだなぁ、って感じです。 【送料無料】日本庭園~銀閣寺・平等院・龍安寺…癒しの庭散策~価..
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