記事「柿本人麻呂」 の 検索結果 461 件
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応神と稲背入彦 2 景行と播磨国の縁(承前) 万葉集には「稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見(稲日野も 行き過ぎかてに思へれば 心恋しき 加古の島見ゆ)」という柿本人麻呂の一首が収められていますが、この歌を参考にするな..
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越智野・阿騎野<萬葉百首続き>柿本人麻呂は長歌こそ本領発揮,というのはそうなのだが, 長歌以外は?といえば,もちろんそちらにも秀歌は多い。 ただし,長歌とセットのものに優れたものが多くあり, その点でやはり長歌と一つのものと..
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人麻呂から高市皇子・十市皇女へ<萬葉百首続き>萬葉集には4500首あまりの歌が載っている。 その中で語数最多の歌は199番歌で,これも人麻呂作だ。 題詞には「高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首幷短歌」とある。 高市皇子は天武天皇の..
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柿本人麻呂(萬葉百首続き)当麻寺と長岳寺へ行った帰りに県都に寄って書店を覗いた。 文庫本を2冊と新書を1冊買った。 新書は予め買おうと決めていたものを見つけたので買ったのだが, 文庫は新刊の並ぶ棚から取り出したものだ。 ..
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柿本人麻呂の謎 16 おまけ(承前) 『公卿補任』の具体例を引いて紹介しておきます。柿本人麻呂と並び、和歌の世界では有名人である大伴家持は、天平十年(738)二十一歳で正六位の内舎人となった後、三十二歳で従五位下..
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柿本人麻呂の謎 15 写本の宿命?(承前) 若しも、誰かが「冤罪」で官位のすべてを剥奪され、その事実が正史から削除されていたら「復位」を請求する根拠すら失うことになりかねません。柿本人麻呂が八世紀初頭に起きた何らかの重大「事件」に..
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柿本人麻呂の謎 14 「死」に臨み(承前) この項とは直接関係のない事柄になりますが、柿本人麻呂と並んで万葉歌人として有名な山上億良(やまのうえ・おくら)は大宝元年(701)当時、無位、つまり唯の人に過ぎませんでしたが「続日本紀」..
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柿本人麻呂の謎 13 藤原と菅原(承前) お断わりするまでも無く、上述の「小説」は筆者の妄想に過ぎません。一つ違いの二人が「絶対に出会うことがなかった」と言い切れないのと同様に、二人が何処かで間違いなく会っていた、という資料も無..
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柿本人麻呂の謎 12 小説の参 難題(承前) 紀貫之が、何時の日にか公にする事があるかも知れないと密かに思い、下書きとして暖めていた「歌論」に筆を加え、蔵人所を通じて「仮名序」として奏上すると、再び、藤原時平からの呼び出しが掛かり、..
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柿本人麻呂の謎 11 小説の弐 選抜(承前) 母屋から五十歩ばかり南西に離れた場所に建てられた家屋は、二方に生垣が廻らせてあり他の建屋から繋がる廊下などは設けられていないようにも見える。部屋は五つばかり、開け放たれたその内の一部屋が..
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柿本人麻呂の謎 10 小説の壱 呼出し(承前) 庭とも呼べないほどの広さではあるが、南に面した縁を取り囲むように花木を植えられるだけの場所が残してあるのが、せめてもの風雅というものか。 夕間暮れ、役所から戻った男は、いつものように..
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柿本人麻呂の謎 9 貝は女性の暗喩?(承前) 「よさみ」(依網、依羅)は、少し読みの珍しい言葉の部類に入ると思いますが、もともとは「寄せる波」あるいは「寄せる網」が転じて出来上がった古語だと考えられ、辞典などでは『海に流れ込む河口』..
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