記事「柿本人麻呂」 の 検索結果 466 件
-
柿本人麻呂の謎 13 藤原と菅原(承前) お断わりするまでも無く、上述の「小説」は筆者の妄想に過ぎません。一つ違いの二人が「絶対に出会うことがなかった」と言い切れないのと同様に、二人が何処かで間違いなく会っていた、という資料も無..
-
柿本人麻呂の謎 12 小説の参 難題(承前) 紀貫之が、何時の日にか公にする事があるかも知れないと密かに思い、下書きとして暖めていた「歌論」に筆を加え、蔵人所を通じて「仮名序」として奏上すると、再び、藤原時平からの呼び出しが掛かり、..
-
柿本人麻呂の謎 11 小説の弐 選抜(承前) 母屋から五十歩ばかり南西に離れた場所に建てられた家屋は、二方に生垣が廻らせてあり他の建屋から繋がる廊下などは設けられていないようにも見える。部屋は五つばかり、開け放たれたその内の一部屋が..
-
柿本人麻呂の謎 10 小説の壱 呼出し(承前) 庭とも呼べないほどの広さではあるが、南に面した縁を取り囲むように花木を植えられるだけの場所が残してあるのが、せめてもの風雅というものか。 夕間暮れ、役所から戻った男は、いつものように..
-
柿本人麻呂の謎 9 貝は女性の暗喩?(承前) 「よさみ」(依網、依羅)は、少し読みの珍しい言葉の部類に入ると思いますが、もともとは「寄せる波」あるいは「寄せる網」が転じて出来上がった古語だと考えられ、辞典などでは『海に流れ込む河口』..
-
柿本人麻呂の謎 8 石川は河内の河(承前) 大阪・住吉区の庭井という処には今でも「大依羅神社」(おおよさみじんじゃ)があり、その祭神・建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ)は孝元天皇を遠祖とするとされ、子孫である依羅吾彦(我..
-
柿本人麻呂の謎 7 石川と依羅郎女(承前) そのような目で見てゆけば首を傾げたくなる部分が「妻」の歌にも窺えます。それは彼女が元々石見地方出身の人であり、人麻呂が「石見」に赴いた時知り合った人物であったのなら(つまり石見に住んでい..
-
柿本人麻呂の謎 6 正三位は追贈か(承前) つまり問題は「古今和歌集」で紀貫之が仮名序で述べた「正三位」という一言に尽きることになります。繰り返しになりますが、そのような高い「位」を授与された人物については「必ず」正史が記録してい..
-
柿本人麻呂の謎 5 人麻呂への弔意(承前) そのような状況の中にあって『柿本朝臣人麻呂が心に擬して、報ふる歌』を寄せた人物が、一人だけいたのです。ただ万葉集は、その人の姓名を「丹比真人」(名欠けたり)とのみ記し、名前を記録していま..
-
柿本人麻呂の謎 4 鴨山五首とは(承前) それでは何故「石見風土記」云々などという怪しげな文書が後世出回ったのか?その答えに繋がると思われる事柄が「万葉集」に収められた幾つかの作品に、垣間見ることが出来ます。 鴨山の 岩根..
-
柿本人麻呂の謎 3 人でなく猿が居た(承前) 「歌の聖」こと柿本朝臣人麻呂(生没年不詳、650年頃に誕生か?)の出自に関しては、過去、実に多くの事が語られてきましたが、その中の一つに「孝昭天皇の皇子、天足彦国押人命を祖先とする和邇氏..
-
柿本人麻呂の謎 2 記録にない叙任(承前) 「古文」の授業を思い出しましたか!…、殊更に説明を加えるまでもないとは思いますが、紀貫之が言いたかった「歌」への思い入れを、筆者なりに代弁しておきましょう(多分に意訳してあります…)。 ..