記事「母親」 の 検索結果 4410 件
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四月馬鹿母より愚かなるはなし作者の岡本圭岳は、ホトトギスへの投句をきっかけに大阪から上京、子規の句会に参加、本格的に作句に打ち込むようになった人。 大阪時代には子規の門下生だった青木月斗の元で腕を磨き、同時に中央俳壇への思..
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裏街のマリア昨夜はイヴだというのに、寒い都内を独りでとぼとぼ歩いていると、何となく面白くなかった。 私は不信心な浄土真宗の門徒だが、世間がクリスマスに浮かれているのを見ると、わずかな羨望とわずかな嫉妬とわず..
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母の二十三回忌母が亡くなって二十二年の月日が流れた。 まだ母が逝った歳には何年もあるが、兄が逝った五十一歳はとっくに過ぎた。 午前十時にお坊さんがいらして、お経をあげて頂いた。 途中でお焼香をして..
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母の忌日に思うこと今日は平成5年に逝った母の墓参に出掛けた。 それから今日までの月日を想うと、回りの状況も含め、私の日常も大きく変化していることに思い至る。 不肖の息子は、その変化の波に流され、かろうじて今..
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肉が固い!昨日は母の日でしたね。 実家の老婆を呼び出し、例のレストランで昼食を頂きました。 (今回は店名を出しませんが、いつも訪ねてくださる皆さんならすぐにわかりますよね) 一時期は従..
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一枚の写真が語ること一番左が私の母なのだが、撮ったのがいつかは分からない。 戦局が押しつまった昭和二十年とは考えにくいから、17年から18年にかけての撮影か。 いずれにせよ、十代半ばのものだろう。 馬鹿な私..
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母のぬくもりネグレクト問題がプローズアップされて久しい。 ところが、解決はおろか、次第に酷くなる傾向にある。 最近は子供への虐待をニュースで見る機会が多くなり、女性へのDVも止まらない。 いったい、..
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佃・漣 (下)「佃・漣 (上)」からの続きです。 奥湯河原の、宿の離れについた時は、すっかり暗くなっていた。 闇のなかで、緑が、濃く匂っている。 紅い、小さな太鼓橋の下の流れは、弄し..
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記憶にございません親不孝だった不肖の息子が、この時期になると、ポツポツとおかんの遺品の整理をする。 何年経っても遅々として進まず、今年もまた、ちょこっとだけ手を付けて終わりにした。 衣類はすべて何らかの形で処分..
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生きていれば今日は三姉妹の次女だった母は66歳で逝った。 長女は空襲の激しい終戦直前に20歳の若さで逝った。 祖母は激しく慟哭したという。 すでに祖父は昭和7年に他界。 末娘の叔母はその顔を知らない。 生..
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十三年前に見た夢佃の狭い路地を抜けると、すぐ目の前を母が歩いていた。 声を掛けると少し驚いたように振り返り微笑んだ。 いつもの優しい笑顔だった。 しかし無言ですぐに背を向けて歩き出した。 その背中を追う。..
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母のいない母の日でした中学の頃までは大の野菜嫌いでした。 特にニンジン、ナスがダメでした。 (今は何でも美味しく頂きます) 原因は忘れましたが、ある日、母とケンカしました。 翌日、いつものように弁当を受け取り学..