記事「江戸城」 の 検索結果 230 件
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田安門東京都千代田区北の丸公園内、江戸城(現・皇居)に造られた門で、北面する高麗門と西側に直交する渡櫓門からなる桝形門。昭和36年(1961年) に「旧江戸城田安門」として国の重要文化財(建造物)に指定され..
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富士見多門多聞とは城郭の石垣上に建てられた長屋状の櫓のことで、江戸時代の江戸城には、このような多聞が26棟ほど築かれていたそうです。現存するのはこの富士見多聞だけで、内部は一般公開されています。
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坂下門江戸城の門で、現在は宮内庁への出入り口になっている門。文久2年 (1862年)、公武合体論を推進し、和宮降嫁を実現させた老中安藤信正 が、尊王攘夷派の志士に襲撃された「坂下門外の変」の現場です。
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江戸城外堀跡・地下展示室東京都千代田区霞が関の地下鉄虎ノ門駅11番出口近くにある江戸城外堀 の展示施設。この文部科学省構内に残る石垣は、江戸城を取り巻く外堀の一 部で、寛永13年(1636年)に幕府が全国の大名を動員して築い..
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江戸城 大手門元和6年(1620年)に、伊達正宗等の外様大名の普請で完成したと伝わる旧江戸城の正門で、江戸時代には、この門から300諸侯が登城したそうです。 現在は、皇居東御苑の出入り口として一般に公開されています..
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富士見櫓明暦3年(1657年)の大火で江戸城の天守閣が焼失した後、天守閣の代用とされていたのが、この三重構造の富士見櫓。万治2年 (1659年)に再建されたもので、江戸城本丸の貴重な遺構です。
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巽櫓(桜田二重櫓)江戸城の本丸から見て東南(辰巳)の濠(桔梗濠)の角にあることから 巽櫓と名付けられたそうで、桜田二重櫓とも呼ばれています。富士見櫓・ 伏見櫓とともに、現在の江戸城に残る3つの櫓の中の一つです。
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和田倉橋内濠(和田倉濠)に架かり、皇居外苑東側から日比谷通りに通じる橋で、 平川橋とともに江戸城の貴重な木橋の景観を復元したコンクリート製です。 江戸時代には大名や武士が通行する橋で、一般人は通行不可でした。..
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和田倉門跡和田倉門は元和6年(1620年)に構築され「蔵の御門」とも呼ばれていた士衆通行の橋。明治元年(1868年)の明治天皇の初めてのご東幸の際には、 呉服橋門から和田倉門を通って江戸城西ノ丸に入られたとのこ..
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伏見櫓皇居の正面鉄橋の傍にある櫓で、別名「月見櫓」とも呼ばれているそうです。 江戸城築城の第2期(3代将軍家光の時)の寛永5年(1628年)に、京都の 伏見城から移築したものと伝えられ、皇居で最も美しい櫓と..
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正門石橋(皇居)皇居の入り口に架かる橋で二重橋と誤認されている橋ですが、この石橋は二重橋ではなく、正門鉄橋が本来の二重橋とのことです。皇居に入るのには、皇居前広場→ 正門石橋→正門→正門鉄橋→宮殿、が正式ルートだそう..
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同心番所(江戸城)同心とは、江戸幕府の諸奉行・所司代・城代・大番頭などの配下に属し、与力の下にあって、庶務・警備の仕事をしていた下級役人を総称したも の。江戸城の同心番所には大手三の門を警固する与力・同心が詰めていまし..